https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/595/
(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長
(スペイン語) そうですね。私の場合だと例えば、アルゼンチンでは、特に二世はそうなんですが、アイデンティティをいつも話題にしてきました。「私たちは何なのか?」「私たちは誰なのか?」日本人でもあるし、アルゼンチン人でもある。通常、日系人は、一般的に、自分がどこに向かっているのかよくわかってなく、こうしたアイデンティティクライシスを若い頃に経験しています。
私は運がよく、アルゼンチン社会に住んでいたんですが、日本人も多くいたし、アルゼンチン人もそういう日本人を受け入れてくれるところだったんです。他の日系人が感じるであろう違いや差別といったものを感じることはありませんでした。そういう意味では、恵まれていると思います。他の人が味わったような嫌な経験というのがなかったんですから。
でも、同じ世代で、私のような人たちは、誰もがうまくいっていたわけではないのも知っています。だから、日本に行って、そちらのほうが好きだったのか、生まれ故郷のアルゼンチンよりも居心地が良いと感じる人もいます。私はというと、アルゼンチンは居心地がいいし、よりアルゼンチン人らしいんでしょうね。日本にいると、時々、外国人だと感じることがあるし、日本人だと感じることもあります。でも、自分は日本人の血を引いていて、多少なりとも日本のバックグラウンドを持っているアルゼンチン人なんだと自覚しています。
日付: 2005年10月7日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: アン・カネコ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
モニカ・小木曽氏は1969年4月14日、ブエノスアイレス州にある園芸業に従事する日系コミュニティ、エスコバル市に生まれました。旅行業の資格を持つ彼女は、現在は旅行業界で活躍。さらには、日本向けのイベント企画のコーディネーターとし、日本とアルゼンチン両国の架け橋として活躍しています。また、ブエノスアイレスの日系団体、アルゼンチン日系センターの前会長を務め、現在はパンアメリカン日系人協会の代表メンバーでもあります。(2007年1月23日)
歌詞の意味を伝えたい(英語)
演歌歌手(1981年生)
ネイティブアメリカンの居留地でのインターンシップ(英語)
和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)
囚人のように思えた収容所生活(英語)
研究者、活動家(1924-2018年)
東海岸とロサンゼルスの違い(英語)
在日日系アメリカ人デザイナー
アメリカの太鼓と日本の太鼓の違い(英語)
新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)
MISで出会った本土からの日系人(英語)
弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)
日系三世として(英語)
戦後シカゴでの体験(英語)
組織移植・臓器移植の分野においての医療研究の第一人者。(1929年生)
日本社会への突然の受け入れ(英語)
日本在住のハワイ生まれの格闘家(1967年生)
リング名「大和魂」
紅白へ出場
市民権とアイデンティティ(英語)
4C-敵性外国人-に分類(英語)
血管外科医(1921年生)
幼少時から自分のアイデンティティを意識(英語)
映画製作者・アーティスト(1965年生)
法律制定において自身を代弁することの重要性(英語)
政治活動家(1927-2010)