ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/592/

アルゼンチンへ移住してきた家族背景(スペイン語)

(スペイン語) ええと、私の父は60年代にアルゼンチンに来ました。おじさんがアルゼンチンに移住して住んでいたので、父もアルゼンチンに渡ったんです。父は外国に行くチャンスだと思ったんでしょう。親戚がアルゼンチンにいるから、自分もそこへと・・・といったところでしょう。母は父との結婚のため、しばらくしてからアルゼンチンに来ました。父は岐阜県の出身で、母は山梨生まれの大阪で育ちです。で、二人は結婚したんですが、出会いはお見合い写真、つまりお見合い結婚ですね。それで来たんです。お互いの家族が紹介したんでしょう。そうですね、母も当時は20歳で、海外に出たい気持ちもあったところに、結婚して外国に行くというチャンスが与えられた。で、それに応じて、純粋な冒険のような感じでアルゼンチンに来たというわけです。


アルゼンチン お見合い結婚 移住 (immigration) 結婚 移住 (migration)

日付: 2005年10月7日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アン・カネコ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

モニカ・小木曽氏は1969年4月14日、ブエノスアイレス州にある園芸業に従事する日系コミュニティ、エスコバル市に生まれました。旅行業の資格を持つ彼女は、現在は旅行業界で活躍。さらには、日本向けのイベント企画のコーディネーターとし、日本とアルゼンチン両国の架け橋として活躍しています。また、ブエノスアイレスの日系団体、アルゼンチン日系センターの前会長を務め、現在はパンアメリカン日系人協会の代表メンバーでもあります。(2007年1月23日)

ロベルト・ヒロセ

ハーフ日系(スペイン語)

二世日系チリ人、ビジネスマン(1950年生)

ロベルト・ヒロセ

少数の日本人家族と共に育って(スペイン語)

二世日系チリ人、ビジネスマン(1950年生)

ロベルト・ヒロセ

ラテンアメリカにおける日系人の多様性(スペイン語)

二世日系チリ人、ビジネスマン(1950年生)

ジョン・ナカ

徴兵回避のためアメリカへ帰国(英語)

日系アメリカ人二世、盆栽マスター(1914-2004年)

赤間みちへ

ブラジル移民の目的

一世。ブラジル女性教育の先駆者

ポーラ・オヨス・ハットリ

アイデンティティ(スペイン語)

日系アルゼンチン人、三世

ポーラ・オヨス・ハットリ

祖父のアルゼンチン移住 (スペイン語)

日系アルゼンチン人、三世

外間良広

日本からアルゼンチンへ

沖縄出身、一世アルゼンチン人 (1917年生)

外間良広

アルゼンチンで洗濯屋

沖縄出身、一世アルゼンチン人 (1917年生)

外間良広

移住当初、言葉で苦労

沖縄出身、一世アルゼンチン人 (1917年生)

外間良広

人生でもっとも印象に残っている日

沖縄出身、一世アルゼンチン人 (1917年生)

高木一臣

日本を離れ、いざアルゼンチンへ(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)

高木一臣

彼をアルゼンチンに留まらせたタンゴ(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)

高木一臣

アルゼンチンへの渡航(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)

高木一臣

アルゼンチンでの初めての仕事(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)