ディスカバー・ニッケイ

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家族で日本の伝統的お正月をお祝い(英語)

(英語) 両親は日系人でしたし、日本の文化にも深く関わっていたので、僕の家族は日本の祝祭日をとても大切にしていました。正月にはおせち料理やいろんなものを準備して親族で集まって、僕らにとって正月はとても大切な行事なんです。今でも1年に1度、親族全員で集まって新年を祝うようにしています。みんな故郷に戻って来て、一堂に会するんです。だから僕らにとって、お正月はいつもとても大切なんですよね。


文化 家族 休日 新年

日付: 2005年1月26日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ロイ・ヒラバヤシ氏はサンノゼ太鼓の支配人であり、グループの創設者の一人です。1951年、カリフォルニア州バークレイで帰米の両親のもとに生まれました。彼は5人兄弟の真ん中で、カリフォルニア州オークランドで育ちました。1969年に高校を卒業した彼は、サンノゼ州立大学へ進学し、心理学と哲学を専攻しました。

彼ははサンノゼ州立大学のアジア系アメリカ人研究プログラム、全米日系人市民協会(JACL)、パシフィック・アジアン・コーリション、アメリカ仏教会などでも働いていました。彼が太鼓を始めたきっかけは仏教青年会(YBA)の活動でした。サンノゼ仏教会の開教使ヒロシ・アビコが緊那羅(きんなら)太鼓の演奏を聴いたあと、若い世代のために何か始めるべきではないかと話を持ちかけられ、太鼓グループを立ち上げたのです。以来、サンノゼ太鼓はアメリカでもっとも影響力のある太鼓グループのひとつに成長しました。(2005年1月26日)

ウェイン・ヨコヤマ

唯一の日本文化:食べ物(英語)

南カリフォルニア出身の在日日系人(1948年生)

ウェイン・ヨコヤマ

余所者(英語)

南カリフォルニア出身の在日日系人(1948年生)

与那嶺要(ウォーリー・ヨナミネ)

両親は沖縄出身者と内地出身者の結婚反対の風潮を体験 (英語)

沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)

与那嶺要(ウォーリー・ヨナミネ)

家計を助けるために砂糖きび畑で働いた10代の頃の経験 (英語)

沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)

田中誠一

三世の太鼓への理解

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

ノスケ・アキヤマ

太鼓を通しての日本文化の再発見

サンフランシスコ太鼓道場の太鼓奏者・獅子舞

ロジャー・シモムラ

日系アメリカ人コミュニティの生活(英語)

日系アメリカ人画家、版画家、教授。(1939年生)

フランク・ヤマサキ

戦後の再出発と日本的要素の否定(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

パット・アダチ

父との関係(英語)

第2次大戦中の収容経験あり。日系カナダ人コミュニティのアクティブメンバー(1920年生)

キミ・ワカバヤシ

見合い結婚 (英語)

日系カナダ人一世。1931年にカナダへ夫と移住。(1912年生)

シズコ・カドグチ

家族の反対をおしきりボブと結婚(英語)

日系カナダ人二世。池坊トロント支部を設立。(1920年生)

エンセン・井上

日系アメリカ人家庭に育つ(英語)

日本在住のハワイ生まれの格闘家(1967年生)

エンセン・井上

家紋を探る(英語)

日本在住のハワイ生まれの格闘家(1967年生)

トシオ・イナハラ

家族構成(英語)

血管外科医(1921年生)

トシオ・イナハラ

12歳で1930年のフォードを運転(英語)

血管外科医(1921年生)