ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/518/

日本から移民した女性としなかった女性の違い

その当時(1970-80年代頃)、私頼まれて新聞、朝日新聞かなんかに頼まれてね、そのインタビューした人たちから受けた印象というのをこういくつか書いたんですけどね。その時にね、一世の人たちっていうのは、日本でよく言っている「飛んでいる女性」っていうの、自立した女性ね。そういう人たちだったんだと言ったわけね、書いたんですよ。そしたらね、あの経済学を専攻している人からね、すぐに手紙がきてね、「あなたの考えは甘すぎる」って。「もっと日本のね、経済やなんかをね、いかに厳しかったかっていう、その移民しなきゃならなかった状況っていうのが、そこには現れてない」って言われてね。で、私は「それは認めます」と。経済状況が悪かったことはあるんだけども、でもね、経済状況が悪いときに、じゃあ日本を離れて来た人と来なかった人とどこが違うかっていったら、やっぱりね、自立した女性だったんですよ。自分で判断して、自分でこの道を選んできて、で、ここで子供を育てようって決心した人達ね。


花嫁 移住 (immigration) 写真花嫁 妻たち

日付: 2005年10月7日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アン・カネコ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

津田塾大学でアメリカ研究を専攻。卒業後、フルブライト奨学生としてシラキュース大学大学院歴史学科に留学し、アメリカ史を専攻する。アメリカの人種、文化の多様性を目にした彼女は、とくにアメリカ史の重要な部分である移民史に関心を持ち、日本からアメリカへわたった移民についての研究を始める。当時は、アメリカにおいても、それまでの政治を中心とした歴史から「社会史」に注目が移りつつあった時代で、指導教官も彼女の研究を応援してくださった。

帰国後、母校で教鞭をとり、アメリカ史、移民史の授業を担当しつつ、自分のテーマである日系アメリカ人についての研究を進める。1980年代、1990年代にはカリフォルニア州で一世、二世の聞き取り調査に精を出したが、その後、カナダの日系人についての研究にも進展し、両国の日系人の歴史、社会での受け入れられ方などを比較してきた。

最近は日系人と日本との関係について、「ララ物資」(「LARA―公認アジア救済機関」)などを例ににして考察している。 最近の主な編著書としては 『もう一つの日米関係史—紛争と協調のなかの日系アメリカ人』 (有斐閣、2000年)、『引き裂かれた忠誠心』(ミネルヴァ書房、1994年)(共著)などがあげられ、 1997年に出版した『日系カナダ人の歴史』 (東京大学出版会) はカナダ首相出版賞を受賞。現在は研究者としてだけでなく、津田塾大学の学長としても活躍中。 (2006年10月6日)

Luis Yamada
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ルイス・ヤマダ

戦後アルゼンチンに戻る(スペイン語)

二世日系アルゼンチン人 (1929年生)

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Doris Moromisato
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ドリス・モロミサト

移民の苦労神話(スペイン語)

詩人、沖縄系ペルー人 (1962年生)

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Mitsuye Yamada
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ミツエ・ヤマダ

写真花嫁の集団と一緒にアメリカに渡った母(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)

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Kazumu Naganuma
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カズム・ナガヌマ

月に一度入国管理局にチェックインする

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

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