ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/468/

市民権とアイデンティティ(英語)

(英語) 日本には日系アメリカ人の友達はいないんです。でも同じ高校出身の友達はいるんですよ。そのうちの1人が小錦です。彼は高校が一緒で、僕のことを助けてくれる先輩みたいな人ですね。彼の方が日本は長いからいろんなアドバイスをしてくれるんだけど、彼の日本での体験も僕のと同じなんだよね。彼は国籍も日本に変えたんだけど、僕と同じような感覚で自分はアメリカ人だという意識を持ってますね。

「日本人になると払わなくていいんだぞ」って、何か税金のことを教えてくれたりもするんです。外国人の税金は(日本人の税金と)違うからね。それから、「パスポートを二つ持ってるから、ハワイに帰るときはアメリカのパスポートを使うし、日本に来る時は日本のを使う」なんて言ってて、どういうことなのかよく分からないんだけど。でもやっぱり彼も、中身は変わらずにアメリカ人なんです。名前は日本名に変わったけど、でも彼の友達や家族は今でも彼をサレバ・アティサノエ(Salevaa Atisanoe)って呼んでますよ。


市民権 Finding Home(映画) アイデンティティ

日付: 2003年10月14日

場所: 日本、埼玉県

インタビュアー: アート・ノムラ

提供: アート・ノムラ、『ファインディング・ホーム』

語り手のプロフィール

エンセン井上はハワイで生まれ育ち、ハワイ大学で3年間心理学を学びました。日本への在住意志はありませんでしたが、23歳の時ラケットボールのトーナメントへ参加するため2週間の予定で日本を訪問しました。トーナメントに勝ち残ったあと、ラケットボールのセミナーへ参加するため、滞在期間を3ヶ月間延長しました。その後、ハワイへの帰国を1年間先送りにし、日本へ滞在。その翌年は英語を教えるかたわら、兄のラケットボール会社の経営を手伝っていたため、さらにあと1年と滞在期間が延びていきました。その後、ラケットボールをあきらめボクシングへと転向。インタビューが行われた2003年秋には、すでに13年半の在日期間が過ぎており、ハワイへは6年間ほど戻っていないそうです。現在は「大和魂」のリング名にてプロの格闘家として知られています。彼は自分のアイデンティティについて、アメリカ人であると主張する一方、ホーム(故郷)は日本であると答えています。(2003年10月14日)

ペギー・ニシムラ・ベイン

市民権を取り戻す(英語)

ワシントン州出身の二世。ツーレレイク強制収容所へ収容後、シカゴへ再転住。(1909年生)

ペギー・ニシムラ・ベイン

忠誠心の質問への返答(英語)

ワシントン州出身の二世。ツーレレイク強制収容所へ収容後、シカゴへ再転住。(1909年生)

上杉 武夫

米国で最初に訪れた庭園(英語)

一世のランドスケープアーキテクト(1940~2016年)

リチャード・コサキ

ワイキキで育った経験(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

ピーター・ミズキ

剣道の修行のために訪れた日本 (英語)

在日三世・剣道家

ロイ・ヒラバヤシ

太鼓演奏の哲学(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

母と祖母を見て学んだ日本の伝統(英語)

演歌歌手(1981年生)

ピーター・ミズキ

米国国籍を持つ日本人の妻 (英語)

在日三世・剣道家

モニカ・小木曽

日本文化の継承-日本語学校(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ピーター・ミズキ

目立ちたくない外国人(英語)

在日三世・剣道家

フランク・ヤマサキ

人類全体への思いやり(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

モニカ・小木曽

アイデンティティ・クライシス(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

家族以外の人前で歌うことはなかった演歌(英語)

演歌歌手(1981年生)

藤間勘須磨

日本舞踊を通して感じる日本人・アメリカ人の両アイデンティティ(英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)