ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/462/

渡日の理由(英語)

(英語) 僕は総合格闘家になる前はラケットボールの選手で、日本でプレーするオファーを受けたことが日本に来るきっかけでした。初めは僕の兄にオファーがあったんだけど、彼は上位選手の中にいるプロのラケットボール選手だったから、ツアーに出ていて忙しかったんですよ。なので、「じゃあ、エンセンではどうだろう?」ってことで、代わりに弟の僕が呼ばれることになって、来日したんです。日本のことは全く何も知らないし、日本がどういうところかなんて想像もできなかったんだけどね。日本が自分のルーツって事は知っていたけど、英語が通じなくて、日本人ばかりがいるなんだかよくわからない国だって考えてたから、なんか変な感じだったね。でもまあ、文化を体験できれば良い旅行になるだろうという気持ちで、実際には、2週間のラケットボールのトーナメントの為に日本に来たんですよ。


Finding Home(映画) 移住 (immigration) 日本 移住 (migration) ラケットボール スポーツ

日付: 2003年10月14日

場所: 日本、埼玉県

インタビュアー: アート・ノムラ

提供: アート・ノムラ、『ファインディング・ホーム』

語り手のプロフィール

エンセン井上はハワイで生まれ育ち、ハワイ大学で3年間心理学を学びました。日本への在住意志はありませんでしたが、23歳の時ラケットボールのトーナメントへ参加するため2週間の予定で日本を訪問しました。トーナメントに勝ち残ったあと、ラケットボールのセミナーへ参加するため、滞在期間を3ヶ月間延長しました。その後、ハワイへの帰国を1年間先送りにし、日本へ滞在。その翌年は英語を教えるかたわら、兄のラケットボール会社の経営を手伝っていたため、さらにあと1年と滞在期間が延びていきました。その後、ラケットボールをあきらめボクシングへと転向。インタビューが行われた2003年秋には、すでに13年半の在日期間が過ぎており、ハワイへは6年間ほど戻っていないそうです。現在は「大和魂」のリング名にてプロの格闘家として知られています。彼は自分のアイデンティティについて、アメリカ人であると主張する一方、ホーム(故郷)は日本であると答えています。(2003年10月14日)

Akira Takashio
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高塩 明

ボーディングハウスでの荒れた生活

新一世、居酒屋と割烹のレストラン「本多屋」の社長

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Tom Yuki
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トム・ユキ

カリフォルニア州サリナスに移民として渡った家族(英語)

三世のビジネスマン(1935年生)

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Kishi Bashi
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キシ・バシ

両親は新一世(英語)

音楽家、作曲家、ソングライター(1975年生) 

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Michelle Yamashiro
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ミシェル・ヤマシロ

日本人がペルーへ移住した理由 (英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

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Michelle Yamashiro
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ミシェル・ヤマシロ

三か国語を使った沖縄での活動(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

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Mitsuye Yamada
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ミツエ・ヤマダ

写真花嫁の集団と一緒にアメリカに渡った母(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)

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Mitsuye Yamada
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ミツエ・ヤマダ

日本から到着した母のためにアメリカの洋服を買った父(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)

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Howard Kakita
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ハワード・カキタ

アメリカで両親と再会する(英語)

広島で被爆した日系アメリカ人(1938年生)

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Howard Kakita
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ハワード・カキタ

核兵器についての考え(英語)

広島で被爆した日系アメリカ人(1938年生)

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Kazumu Naganuma
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カズム・ナガヌマ

月に一度入国管理局にチェックインする

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

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