インタビュー
東へ移住か渡日かの選択(英語)
(英語)アメリカもカナダも日本が...(戦争に負けることを) 知っていたんですよね。そして政府は、もしカナダに住み続けたいならそうなる前にカナダ東部へ移住するように、それか日本へ帰るのならタシュメに留まるように、と言ってきました。タシュメに収容所されていた家族の中で、東部への移住を選んだのは私達が最初でした。 それで移動の日、その日はドイツ人が…。私達は電車の中で、もし兵隊に見られたら、と思うと怖くて仕方ありませんでした。ボブは「とにかく黙ってなさい。何を言われてもとにかく静かにして、話しかけてはいけない」と言いました。でもね、何の問題も起こりませんでした。周りの人達は私達がインディアンだと思っていたようですよ。(笑い)
I: その時、政府の負担で日本へ帰ることもできた訳ですよね、それでも東部へ移住することを選んだのはどうしてですか?
そうですね、義理の父は日本に帰りたがっていました。家族の中では一番の年配者でしたからね。でも、ミヨコのように日本語と英語の両方を話す子もいましたけど、でも(日本語を話さない)若い世代のことを考えると心配で、私は「どうしてこの子達を日本に連れて行こうなんて事が言えるの?」って言ってましたね。やはり日本には行かなくて良かったですよ。後から聞いた話ですが、日本には食べるものがなくて、義理の父のように家長であっても(十分に食べられませんでしたから)。それにお金もありませんでした。もし日本へ持っていくお金がたくさんあったとしたら、それはまた別の話ですよ。でも誰があの時代、そんなお金を持っていたでしょう?私達は自分達の家からも立ち退かせられている状態でしたし、移住は賢明でしたよ。でもトロントに留まることは許されていなかったので、ウィンザーまで行って農業に従事しなければなりませんでした。農作業をしたことはなかったですし、農場に行ってもどうすればいいかわかりませんでした。だから幼いユキとココを、(子供の為の)施設のようなところに行かせていました。
*“I”はインタビューワー(ピーター・ワカヤマ)