インタビュー
第2次大戦中の経験(英語)
(英語)I:立ち退きにあった後は、ヘースティングス・パークに連れて行かれたのですか?
ヘースティングス・パークには行ってないわ。
I:へースティングス・パークには行ってないのですか?
一度も行ったことがないですよ。
I:では、どこへ行ったのですか?
家からゴーストタウンに直行でした。ええと、あれはね、どこだったかしら?スロカンだったわね。そしてスロカンから...。ええと、とにかく違うんですよ、私達一家はバンクーバーに住むところがあったんです。たくさんの人達がバンクーバーに来たけど、彼らには住む家がなくて、それでその人達はへースティングス・パークに連れて行かれたの。でもね、私達には次に住める家が無かったから、もともと居た所に留まったんです。まあ良い場所ではなかったですけどね。
I:という事は、初めはそのまま家に居て、そしてそこから直接スロカンへ行ったんですか?
そうです。(それまでは)パウエル通りの下宿屋に部屋を借りていました。
I:それで、スロカンに居た時は何の仕事をしていたのですか?
また別のセールスの仕事ですよ。そこにもお店は必要でしたからね。
I:お店で働いていたのですね。
そう。お店で。
I:収容所のことはどうやって知ったのですか?
え?
I:収容所についてです。住む場所とか食べるものは?
収容所には強制的に連れて行かれたんですよ。そしてその中で住む場所をあてがわれたのよ。
I:ご家族も一緒に?
そうです。
I:お父さんとお母さんも一緒に?
母とね。そう。
I:お父さんも一緒に行きましたか?
ええ。その時はね、まだ若い父親達はみんな強制送還されたんです。一緒に行ったのは、私の年老いた...実はね、父親と一緒ではなかったんです。一緒に行ったのは、義理の兄で、えーと、あれは誰だったかしら?
女性の声:お兄さんと一緒だったでしょう?
え?
女性の声:お兄さんと一緒だったんじゃなかった?
I:お兄さんと言うのは…?
いいえ。私の兄はもう随分年が上で、その収容所に行くことはできなかったの。行くことができたのは、60を過ぎたような人か、まだ若い子供だけだったのよ。そう。
* “I”はインタビュワー(ピーター・ワカヤマ)