ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/361/

太鼓コンテストを通して育まれるグループとしてのアイデンティティ

30年たって、見渡したら、なんかいっぱい増えたんだけど、これは日本の太鼓だよ、日系人の太鼓だよという、そういうねアイデンティティみたいのを持たないような太鼓が、たくさん増えちゃったと僕は思うんですね。これ何とかしないと、これから先、これが主流になっててね。で、あの日本の太鼓とは言えない、日系の太鼓とも、まぁ、いやその日系の太鼓は何だと言われると、ちょっと答えに難しいとこがあるんだけど、ただ太鼓じゃない太鼓が主流になって、もうわけのわかんないものになっちゃうんじゃないかなっていう、そういう心配があって。それで、まあ何かやんなきゃいけないということで、もう少し日系のね、このアメリカでやってる人たち、あの、全部が全部じゃないんですけど、やる気を持ってもらいたいなと。そうすればもうちょっと真剣に、あの、取り組んで欲しいな。遊びでやってるなら、遊びっていうかね、あの楽しみでやってるのはそれはそれでいいんだけど、もうちょっと同じ時間を使って練習してねやるんだから、もうちょっと勉強すればね、もうちょっと良くなると。で、その、ただそのそういう気持ちに皆さんが気づいてないんじゃないか、というところを考えて、それだったら、例えばそれじゃあそういう人たちをやる気にしてもらう、するにはどうしたらいいのあかなぁっていろいろ考えて、じゃああのコンテストをやればね、主催すればひょっとしたら参加してくれる人たちはね、多分皆さん、あの今まで以上に真剣に練習をつんでくるだろうし、いろんなアイデアを考えてくるだろうし、そうすればそれだけね、そのグループはレベルがアップすると(思うんです)。


ドラム 音楽 太鼓

日付: 2005年4月1日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アン・カネコ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

本郷悦男氏は、東京で生まれ育った新一世です。東京で太鼓を始めた本郷氏は、1968年にカリフォルニに太鼓グループが設立されたという新聞記事を読み、アメリカで太鼓を演奏することに憧れを持つようになりました。1973年ついに渡米を実現させた彼は、太鼓演奏ができる場所を探し、ロングビーチの仏教寺のお盆祭りで初めて太鼓を演奏する機会に恵まれます。その後まもなくして、南米へ旅に出ることを決意し、各地の日系コミュニティーを訪れ、地元のお祭りで太鼓を演奏しました。

南米旅行を終えた本郷氏は、アメリカへ戻り、造園業を始めました。1977年、ロサンゼルス祭り太鼓を結成し、現在は5つの太鼓グループで100人以上の生徒に教えています。L.A夢幻太鼓(1988年設立)ベニス光心太鼓(1992年設立)、L.A太鼓沖田組(1996年設立)、小学2年生から5年生を対象にした学校のプログラムとしてのエルマリノ・レインボー太鼓が残りの4つのグループです。本郷氏は、2019年10月28日70歳でお亡くなりになりました。(2021年6月)

キシ・バシ

日本人でもありアメリカ人でもある(英語)

音楽家、作曲家、ソングライター(1975年生) 

ミシェル・ヤマシロ

ペルー系沖縄人としての両親のアイデンティティ(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人