ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/306/

日本の妻の家族(英語)

(英語)僕は日本に1人で来ているので、ここには僕の家族は居ません。妻の家族が1番近い親戚なので、彼らとの交流の方が多いですね。僕の家族との時間のほとんどは、妻側の親戚と一緒に過ごしています。家族が外国人と結婚することに年配の日本人は断固反対するのではないかと思われがちですが、みんなを驚かせたのは、おじいさんとおばあさん、特におばあさんが僕らの結婚を1番に応援してくれたことでした。妻側の家族ではありますけど、1人日本へ来ている僕としては自分の家族のように感じています。だから僕は自分が孤独だとか外国人だと感じることはないんですね。 僕はこの窯場を建てましたけど、それでも自分が日本に一生とどまるかどうかは分かりません。でも、人は自分が今住んでいる場所で人生を築き、その中で出来る限り最良の人生にしていくものなんですね。


アイデンティティ Finding Home(映画) 家族 日本

日付: 2003年11月28日

場所: 日本、佐賀県

インタビュアー: アート・ノムラ

提供: アート・ノムラ、『ファインディング・ホーム』

語り手のプロフィール

61歳の日系アメリカ人四世(母系から数えた場合)、ボブ・キヨシ・オカサキ氏は1942年の第二次世界大戦中にカリフォルニア州のフレンチキャンプで生まれ、まもなくしてオカサキ一家はアーカンソー州ローワー強制収容所に送られました。戦後、一家はカリフォルニア州ストックトン、後にロディに引っ越して、ブドウ園を経営しました。

ボブはサンノゼ州立大学に進学し、まもなくして陶芸に専念するようになりました。海外留学プログラムを通して、ボブは芸術的な陶器で知られている日本へ留学し、人間国宝の陶芸家の元へ弟子入りしました。

インタビューの中で、彼は自分のアイデンティティについて、日本を訪れた当初はアメリカ人としての意識が強かったけれど今ではアメリカへ帰国してもアメリカ人ではないように感じると述べています。彼は1975年に日本人女性と結婚し、1985年に最初の子供を授かりました。日本に到着したばかりの頃について、彼の日本語の理解度が低かったため、まるで彼がそこに存在しないかのように振舞う人もいたと当時のことを語っています。また、日系アメリカ人ゆえに、初めは奥さんの家族とも多少ぎくしゃくしたところもあったようですが、今では自分の家族と同じく心休まる存在になっているそうです。(2003年11月28日)

マサカツ・ハイメ・アシミネ・オオシロ

幸福のために可能な選択も... (スペイン語)

ボリビア元駐日大使 (1958-2014年)

ジーン・アリヨシ

叔母との養子縁組の可能性 (英語)

ハワイ州知事の元ファーストレディー

カズオ・フナイ

米国での最初の仕事

一世実業家(1900-2005)

飯野正子

日系人とは?

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

飯野正子

日系人から学んだこと

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

ジェームス・ヒラバヤシ

ニックネーム (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ジェームス・ヒラバヤシ

親子の触れ合い (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ジェームス・ヒラバヤシ

ゴードン(兄)から聞いた刑務所での両親の経験 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ジェームス・ヒラバヤシ

前後関係・時代背景の織り成す意味 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ジェームス・ヒラバヤシ

日系人を研究している日本人研究者の推論 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

スティーブ・カジ

FOB - 新参者 (英語)

ハワイ生まれの在日日系人。YMCAの英語教師。

ベナンシオ・シンキ

日本語学校での偏見 (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

マイク・シノダ

日本への親近感(英語)

ミュージシャン、プロデューサー、アーティスト(1977年生)

バーバラ・カワカミ

父の死後の苦しい生活 (英語)

日本人移民の衣服専門家・研究者

バーバラ・カワカミ

フィリピン人独身男性の衣服を洗濯 (英語)

日本人移民の衣服専門家・研究者