ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/295/

父に教えられた収容所の写真の重要性(英語)

(英語)収容所に入った後、父が僕を呼んで「ちょっと話しがある」と言ったんです。何の話か検討はつかなかったのですが、とりあえず気になりましてね。というのも、父は常に仕事に忙しい人で、わざわざ僕を呼び寄せて、深刻な話を切り出すことなんてめったになかったんです。僕たちと話すこと自体あまりなかったですし。だから、父が何を言いたいのかすごく気になったんです。結局、「写真家として果たさなければいけない義務がある」と僕に言ったんです。でも僕には父の言う「写真家としての義務」が何なのかわからなかったんです。「将来このようなことが二度と起こらないために、写真家として収容所の生活を記録として残す義務があるんだ」って父は言いましたね。


写真術 宮武東洋 第二次世界大戦下の収容所

日付: 2001年3月22日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ロバート・ナカムラ、カレン・イシズカ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

有名な写真家トーヨー・ミヤタケ(宮武東洋)氏の息子であるアーチ・ミヤタケ氏は1924年にロサンゼルスで生まれました。1942年、ミヤタケ一家はマンザナー強制収容所へ送られ、第二次世界大戦中は収容所での生活を余儀なくされました。マンザナーで高校を卒業したアーチは、その後、写真家としての道を歩み始めました。1979年に亡くなった父の後を継ぎリトルトーキョーにあるトーヨー・ミヤタケ・スタジオを経営、まもなく現在の所在地であるカリフォルニア州のサンガブリエルに移転しました。アーチ・ミヤタケ氏は、2016年12月、92歳で亡くなりました。(2016年12月)

エリック・ナカムラ

父からではなく歴史の本を通して学んだ収容所(英語)

『ジャイアント・ロボット』の創設者・出版社社長

エリック・ナカムラ

マンザナー収容所でのスケボー体験(英語)

『ジャイアント・ロボット』の創設者・出版社社長

マイク・シノダ

日系人収容所に対する家族の見識(英語)

ミュージシャン、プロデューサー、アーティスト(1977年生)

マサオ・コダニ

強制収容所での思い出(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

恥ずかしくて話せなかった収容所の体験 (英語)

作家(1934年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

甥との対話から生まれた小説 (英語)

作家(1934年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

後に続く世代のために残す家族の記録 (英語)

作家(1934年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

収容所の話ではなく人間ドラマ(英語)

作家(1934年生)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

別々に収容された家族(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

囚人のように思えた収容所生活(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

制度化されたシステムの悪影響(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

デール・ミナミ

カリフォルニア州ガーデナで育まれた順応性と競争心 (英語)

弁護士 (1946年生)

デール・ミナミ

両親の強制収容について多くを知らぬまま成長 (英語)

弁護士 (1946年生)

デール・ミナミ

二世が戦中体験を語るきっかけとなった賠償運動の役割 (英語)

弁護士 (1946年生)

マコ・ナカガワ

テキサス州クリスタルシティーで別人の様になっていた父との再会 (英語)

教師(1937-2021年)