https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/264/
日本人移民の衣服専門家・研究者
(英語) 母は朝早く起きてフィンピン独身男性の洗濯をしてました。あの頃は洗濯機などありませんでしたから、(洗濯物を)全部(手で)たたいて、赤い土の汚れを石鹸でごしごし擦らなければなりませんでした。その石鹸は赤石鹸と呼ばれていたんです。母はたたいて擦り終わった洗濯物を外に持って行き、たき火にかけられたとても大きな(ドラム)缶に入れ煮沸していました。妊娠中の彼女にとっては重労働でしたよ。(毎朝)4時半に起きて洗濯をし、夜は遅くまでアイロンをかけていました。そして私たちは・・・母はアイロンがけをするのに木炭アイロンしか持っていませんでした。まず火鉢(ひばち)で木炭に火をつけ、その木炭を鉄製のアイロンに詰めるんです。とても重かったんですよ。
家には電気がひとつ天井から下がっているだけでした。だからその天井の電気ひとつで、私は夜遅くまで宿題をしていたんです。一番遅くに寝るのは私で、母がそれに付き合っていました。いつも床にアイロン台をおいてアイロンをかけていましたからね。電気ひとつで、私は英語学校と日本語学校の宿題をやっていました。
日付: 2004年2月19日
場所: 米国、ハワイ州
インタビュアー: リサ・イタガキ、クリッシー・キム
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
バーバラ・カワカミ氏は1921年熊本県に生まれました。彼女の家は封建時代からの農家で、そこで350年余りの歴史を持つ旧家でした。ハワイのオワフ島にあるオワフ砂糖農園で育った彼女は、仕立て屋・家政婦として働いていました。しかし、50歳を過ぎた頃、高校進学を決意し、その後テキスタイル・アンド・クロージング(繊維・衣服)の理学士号(BS)とアジア学の文学修士号(MA)を取得しました。カワカミ氏は日本人移民の衣料を専門とするストーリー・テラーであり、学者でもあります。(2004年2月19日)
子供たちと過ごす時間 (英語)
民主党政治家。3期ハワイの知事を務めた。(1926年生)
結婚 (英語)
ハワイ州知事の元ファーストレディー
叔母との養子縁組の可能性 (英語)
米国での最初の仕事
一世実業家(1900-2005)
親子の触れ合い (英語)
(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者
ゴードン(兄)から聞いた刑務所での両親の経験 (英語)
日本語とハワイ語によるハワイの耕地での伝統的な労働歌(ほれほれ節)
ハワイの一世プランテーション労働者。(1900年生)
日本の妻の家族(英語)
日本在住30年以上の日系アメリカ人陶芸家。(1942年生)
お正月料理(英語)
日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)
唯一の日本文化:食べ物(英語)
南カリフォルニア出身の在日日系人(1948年生)
両親は沖縄出身者と内地出身者の結婚反対の風潮を体験 (英語)
沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)
家計を助けるために砂糖きび畑で働いた10代の頃の経験 (英語)
父との関係(英語)
第2次大戦中の収容経験あり。日系カナダ人コミュニティのアクティブメンバー(1920年生)
見合い結婚 (英語)
日系カナダ人一世。1931年にカナダへ夫と移住。(1912年生)
家族の反対をおしきりボブと結婚(英語)
日系カナダ人二世。池坊トロント支部を設立。(1920年生)