(英語) もちろん僕たちは日系アメリカ人社会で育ったので、家族に恥をかかせないように、自分の行動はすべて家族に影響を及ぼすんだからって、いつも言われてました。そういう類の忠告をよく受けてましたよ。
ある日、地元の二世の男の子-多分僕より少し年上だったと思いますけど-が家出したんです。その地域には孤児院が一軒あって、そこの子供たちは地元の学校へ通ってて、僕のクラスメートだったんです。ある日どうやらその(地元の)男の子と孤児院の子供たちが逃げ出したんです。彼らが何をしていたのか、何をしたのかは覚えてないんですけど、その地域の大きなうわさの種になったんです。
この一件は家族に恥をかかせないための教訓になっています。 僕が育った地域は、日系アメリカ人又は日本人、そして日本人以外の人種が半分半分の割合で住んでいたんです。(日系人・日本人の)うち4分の3が二世でした。僕たちは多数派だったんです。しかし、まだ人種差別の傷の痛みは残っています。
日付: 2004年1月7日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: アート・ハンセン
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター