https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/226/
ハワイ州知事の元ファーストレディー
(英語) 当時、私の社会生活の中心はYWCAにありました。ティーンエージャーだった私たちはYWCAに所属し、YWCAが私たちの社会生活の重要な部分を担っていたんです。YWCAのお友達の多くがパイナップル畑のちょうど真ん中にあるホワイトモア市から来ていました。毎年夏になると、彼女たちはパイナップル畑で働いていたんです。
ある年「私にもできるわ」と思い立ち、お友達に混ざってパイナップル畑で働くことにしました。それは本当にすごい経験でしたね。当時、既に機械は導入されていましたが、私たちのような若者は大きな袋を使って収穫しました。ずだ袋を肩に掛け、ふちの広い帽子を被り、パラカシャツ(アロハシャツの原型となった作業着)を着て働きました。それから母が縫ってくれたデニム製のエプロンも着けていました。朝は早起きをし、迎えに来たトラックに乗って出かけ、畑の中で働くのです。よく覚えているのは、パイナップルの実や葉のとげが刺さることですね。エプロンはそれを防ぐためにあったのですが、それでも家に帰ると、足に何百箇所も刺し傷がありました。それでも私たちは手でパイナップルを摘み取って、大きな袋に入れるんです。そして袋が一杯になると、パイナップルを集める場所までもって行き、袋を空けて一箇所にまとめるんです。あの夏、私は本当に頑張ったと思いますよ。それにあの時ほど健康的だった夏もありませんでした。とても健康的な外見をしていたんです。
その経験の中で何が一番素晴らしかったかといえば、お友達みんなが集まることができたという点でしょうね。お昼の時間には舗装されていない道路にみんなでエプロンを敷いて、お弁当を広げたんです。弁当の中身は母が作ってくれたおにぎりやスパム(ハムの缶詰)、それにウィンナーソーセージ、おいしいものをいろいろ入れてくれたんですね。パイナップル畑にはとても素敵な想い出があります。
日付: 2003年12月15日
場所: 米国、ハワイ州
インタビュアー: リサ・イタガキ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
ジーン・アリヨシ氏(旧姓:ハヤシ)は、ハワイ大学でスピーチの文学士号(BA)と数学の理学士号(BS)を取得し、教職の資格を得るためにスピーチの講師として働いているとき将来の夫になるジョージ・アリヨシ氏と出会いました。彼女は週一度放映されるテレビのタレント番組の司会などもしていました。ジョージ・アリヨシ氏がハワイの民主党議員に選出された翌年の1955年に二人は結婚しました。
夫のハワイの州知事在任中(1974年-1986年)、彼女は慈善運動や地域社会活動に深くかかわり、ハワイで目覚ましい活動をしたボランティアを年一回表彰するために、「ファースト・レディーズ・ボランティア・アワード」を制定しました。ジーン・アリヨシ氏は、ファーストレディーとしての役目を終えた後でも、国内的・国際的な慈善事業の大立て者として認められています。(2003年12月)
知事選出馬を決意 (英語)
民主党政治家。3期ハワイの知事を務めた。(1926年生)
公平であること (英語)
ハワイの国際的な役割 (英語)
ハワイへ再移住 (英語)
日本人移民の衣服専門家・研究者
1920年の労働者ストライキ (英語)
真珠湾攻撃 (英語)
兵士たちを手助け (英語)
アメリカのイメージ(英語)
ハワイ出身の三世。教師・ビジネスウーマンとして日本在住。
ワイキキで育った経験(英語)
ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)
真珠湾攻撃の後の救急ステーションでの仕事(英語)
真珠湾攻撃の後の疑惑(英語)
第2次大戦後の人々の変化(英語)
ハワイ島コナのコミュニティ(英語)
弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)
5歳で働き始めて(英語)
MISで出会った本土からの日系人(英語)