https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/224/
ハワイ州知事の元ファーストレディー
(英語) 私たち一家はとても貧しかったですね。というのも、世界大恐慌の時代、写真家だった父にはほとんど仕事がなかったんです。兄たちが屋根に登って鳩を捕まえ、それが私たちの食事になることもありました。母は、5つの家族の洗濯を引き受けていました。それもあって、私たち一家はなんとか暮らしていけたんです。大家族ではあったけれど、困難を乗り越えながら私たちはなんとか頑張って生活していました。
私は6番目の子として生まれ、両親は他の5人の子供たちを食べさせていかなければなりませんでした。私には叔母がいて、彼女には息子が1人いたのですが、もう子供を持つことができなかったんです。叔母は母の妹で、私を養子に迎えたがっていました。でも私の家族にとって、それは非常に辛いことだったんです。かつて父がよく言っていました「ペットは人にあげられる。でも子供たちを人の手に渡すことはあり得ない」って。私たち家族の生活はとても厳しかったのですが、両親が私を養子に出さなかったことを今でもとても感謝しています。そうでなければ、私は全く違う運命をたどっていたでしょうから。
日付: 2003年12月15日
場所: 米国、ハワイ州
インタビュアー: リサ・イタガキ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
ジーン・アリヨシ氏(旧姓:ハヤシ)は、ハワイ大学でスピーチの文学士号(BA)と数学の理学士号(BS)を取得し、教職の資格を得るためにスピーチの講師として働いているとき将来の夫になるジョージ・アリヨシ氏と出会いました。彼女は週一度放映されるテレビのタレント番組の司会などもしていました。ジョージ・アリヨシ氏がハワイの民主党議員に選出された翌年の1955年に二人は結婚しました。
夫のハワイの州知事在任中(1974年-1986年)、彼女は慈善運動や地域社会活動に深くかかわり、ハワイで目覚ましい活動をしたボランティアを年一回表彰するために、「ファースト・レディーズ・ボランティア・アワード」を制定しました。ジーン・アリヨシ氏は、ファーストレディーとしての役目を終えた後でも、国内的・国際的な慈善事業の大立て者として認められています。(2003年12月)
子供たちと過ごす時間 (英語)
民主党政治家。3期ハワイの知事を務めた。(1926年生)
米国での最初の仕事
一世実業家(1900-2005)
親子の触れ合い (英語)
(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者
ゴードン(兄)から聞いた刑務所での両親の経験 (英語)
ハワイへ再移住 (英語)
日本人移民の衣服専門家・研究者
プランテーション労働者の服 (英語)
父の死後の苦しい生活 (英語)
フィリピン人独身男性の衣服を洗濯 (英語)
兄の出兵、そして生き残ること (英語)
お手伝い (英語)
日本の妻の家族(英語)
日本在住30年以上の日系アメリカ人陶芸家。(1942年生)
お正月料理(英語)
日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)
唯一の日本文化:食べ物(英語)
南カリフォルニア出身の在日日系人(1948年生)
両親は沖縄出身者と内地出身者の結婚反対の風潮を体験 (英語)
沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)
家計を助けるために砂糖きび畑で働いた10代の頃の経験 (英語)