ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1753/

アメリカ行きの船の中での食べ物(英語)

(英語)(食べ物で)持っていたのは、クッキーだけでした。すごく大きな缶で、どうやって持ち込んだのかわかりませんが、それを家族で食べていました。その他に覚えていることは、あのぐらいの年(8歳)の子がするように、私は姉と一緒にチョロチョロ船の中を歩き回っていました。私たちは周りを探索して、何が起こっているのかを見たかったのです。そして姉がある扉を開けると、そこには食堂がありました。姉が扉を開けたとき、美味しそうなにおいがしました。そこにはテーブルに座って食事をしている人たちがいました。私たちも座りました。そこにいる人達の事は気にしてなかったと思います。とても空腹の上、船酔いもしてたので。私たちも食べさせてもらえました。2皿のザワークラウトとソーセージでした。船酔いのときのザワークラウトの匂いって、鼻につくんですよね。私は今でも覚えています。私たちはザワークラウトは残して、ソーセージをむしゃむしゃ食べて、すぐに食堂を出て部屋に戻りました。


食品 日系ペルー人

日付: 2019年9月20日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: トム・イケダ、西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジミー・ナガヌマは1936年にペルーのカヤオで一世の両親の間に生まれた。8歳の時、家族と共に強制連行され、第二次世界大戦中テキサス州クリスタルシティに収容された。戦後、一家は収容所を出ても行くあてがなかったが、カリフォルニア州サンフランシスコの牧師がスポンサーを申し出てくれたので、そこで仕事と住居を見つけることができた。(2020年6月)

小西紀郎

フジモリ元大統領の夜食を配達

ペルーの日本料理レストラン経営者・シェフ (1962年生)

関利彦

日本の文化としてアメリカで寿司を握る

寿司職人(1962年生)

関利彦

寿司職人として成功するまで

寿司職人(1962年生)

関利彦

日々楽しんで握る寿司

寿司職人(1962年生)

関利彦

金の卵を育てる

寿司職人(1962年生)

フランチェスカ・ユカリ・ビラー

ビラーさんにとっての「ニッケイ」(英語)

ユダヤ系日系アメリカ人ジャーナリスト

フランチェスカ・ユカリ・ビラー

アイデンティティにとっての文化の重要性(英語)

ユダヤ系日系アメリカ人ジャーナリスト

ジミー・ムラカミ

収容所の絵(英語)

(1933-2014) 日系アメリカ人アニメーター

豊島 年昭

正統握りをアメリカで提供することへのこだわり

寿司職人。リトル東京にある「鮨元」のオーナー(1949年生)

豊島 年昭

正統派の寿司を広めることの難しさ

寿司職人。リトル東京にある「鮨元」のオーナー(1949年生)

豊島 年昭

寿司の食べ方を教える

寿司職人。リトル東京にある「鮨元」のオーナー(1949年生)

豊島 年昭

アメリカの寿司の将来を心配

寿司職人。リトル東京にある「鮨元」のオーナー(1949年生)

ミシェル・ヤマシロ

日本人がペルーへ移住した理由 (英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

祖父が大好きだった曽祖父アラカキの話 (英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

戦時中の日系ペルー人の迫害(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人