ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1734/

日本にいるからこそ果たせる自分の役割

まぁちょうど30年経ってアルゼンチンに帰りたい、またはアルゼンチンでまた再スタートしたいという気持ちはないですね。多分日本にいる事で日本の中で自分の役割をこれからも果たす、またはこれからも自分の役割を探して行くのが一番良いのではないかと思っていて、その方がいろいろ還元できるのではないかと思っていますね。

でも僕から実は南米のアルゼンチンで生まれ育った人間ですという事はどこかでやっぱり伝えますし、それがやっぱり特徴であり、それをずっと自分の軸にしているわけですよ。でも相手は驚くかもしれないけれども、それに対して今度は相手も接してくる、または相手は何かを求めてくるわけですよね。それがやっぱり、また自分の(話が)戻りますけれども、役割だと思うわけです。よくみんな、架け橋とか、いろいろ凄く素晴らしい言葉を言いますけれども、非常にやっぱりその、国、文化、言葉っていうのをうまく繋ぐというのは非常に労力のいる仕事であってですね、神経も非常に使うわけですよ。だから単なる言葉とか国だけの繋ぎだけではなく、考え方、思惑、それから時にはやっぱり利害関係というのも関わって来ますので、そういう面では気をつけています。


アイデンティティ 在日日系人

日付: 2019年9月22日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1962年、アルゼンチン、ブエノスアイレス州のエスコバールに生まれる。エスコバール日本語学校へ通いほぼバイリンガル教育を受ける。大学生のときにマルビナス紛争が勃発、従軍して通信兵として任務を全うする。その後、ブエノスアイレスのサルバドル大学国際関係学部を卒業し、1990年国費留学生として来日。横浜国立大学大学院で労働法を専攻し修士号を取得。

現在は、日本でスペイン語の渉外法務翻訳、法廷通訳、放送通訳、さらにはJICA研修員オリエンテーション講師、静岡県立大でスペイン語、獨協大学でラテンアメリカ経済と法を教える傍ら多文化共生関係の講演を行っている。在日ラテンアメリカ出身の日系人などのサポートを行っている。(2020年2月)

パウロ・イサム・ヒラノ

リーマンショックを機に日本語のできるグラフィックデザイナー として独立

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

サワコ・アシザワ・ウチムラ

いくつかの生い立ちを持ったユニークなアイデンティティ(英語)

フィリピン生まれの引揚者、後にアメリカに移民(1938年生)

ロバート・T・フジオカ

日系人としてハワイで育つ(英語)

ハワイ生まれの元銀行幹部職員(1952年生)

キシ・バシ

日本人でもありアメリカ人でもある(英語)

音楽家、作曲家、ソングライター(1975年生) 

キシ・バシ

両親は新一世(英語)

音楽家、作曲家、ソングライター(1975年生) 

ミシェル・ヤマシロ

ペルー系沖縄人としての両親のアイデンティティ(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

沖縄文化の理解(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

本州の人々の沖縄人に対する偏見(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

共感する米国的な価値観(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

三か国語を使った沖縄での活動(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミツエ・ヤマダ

詩を通して自分を表現(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)

モニカ・タイシャ―

ニッケイの定義(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

サブリナ・シズエ・マケナ

カミングアウトが家族に与えた影響

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。