ディスカバー・ニッケイ

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「ノーーノー・ボーイ」となった兄の理由(英語)

(英語)(忠誠心調査の)2つの質問に、兄は「ノ」と答えました。兄はその理由をこう語っています。「僕は平和主義者だから、答えは『ノー』だ。人を殺すことを僕は信じていない。だからどんな状況でも武装はしない」。次の質問についても、「そもそも日本の天皇に忠誠を誓ったことはないから、答えは『ノー』だ。なぜ(日本の天皇に)服従しないことを誓う必要がある?」と言いました。このように兄は、2つの質問に“ノー”と答えました。誰もこの調査結果に目を通さなかったようで、私たちは一緒に収容所から出ることができました。

私たちはシンシナティ大学に1年ほど居ました。ある日、FBIが兄の忠誠心調査のコピーを持って彼の下宿に来ました。質問の回答を、『イエス』に変える気はあるかと言うのです。私の記憶では、マイクの答えは『ノー』でした。変えるつもりはありませんでした。私は兄に、「何ですって?頭がおかしいの?」と叫んだのを覚えています。

もちろん兄は退学処分になりました。なぜなら学校は・・・いいえ、実際は退学ではありませんでした。学校側は、「キャンパス内で戦争関連の繊細な仕事」が行われているので、キャンパスは兄には「オフリミット」だと言いました。兄は、1年次の期末試験を受けることができませんでした。彼はその後すぐにシンシナティを離れてボストンへ向かい、数年後ボストン大学を卒業しました。


教育 ロイヤルティアンケート ノー・ノー・ボーイ 第二次世界大戦

日付: 2018年8月7日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: シャーロン・ヤマト

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1923年、母親の里帰り中に日本で生まれる。ワシントン州シアトルで育ち、第二次世界大戦開戦後、アイダホ州のミニドカ強制収容所に収容される。クエーカー教徒のボランティアに助けられ、オハイオ州シンシナティの仕事を得て収容所を出る。シンシナティ大学を経てニューヨーク大学で文学士を取得後、シカゴ大学で文学修士号を取得する。

移民国籍法が通過した後米国に帰化し、1955年に米国籍を取得した。

幼少期から詩を書き続け、1976年に『ミニドカ』、『収容所ノート』、『その他の詩』の作品を収録した最初の本を出版した。39歳の時に健康上の不安を乗り越えて教師として働き始め、その後多くの本を出版した。

カリフォルニア州アーバインで人権擁護グループの設立を支援し、その結果1980年代にアムネスティ・インターナショナル理事会メンバーに選出された。その後多くの人権擁護活動に積極的に参加し、特に女性の人権擁護活動で知られるようになった。(2018年8月)

Lorraine Bannai
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ロレイン・バンナイ

大学で初めて知った強制収容の事実 (英語)

弁護士(1955年生)

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William Hohri
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ウィリアム・ホウリ

収容所の中での教育(英語)

政治活動家(1927-2010)

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Dale Minami
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デール・ミナミ

カリフォルニア州ガーデナで育まれた順応性と競争心 (英語)

弁護士 (1946年生)

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Mako Nakagawa
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マコ・ナカガワ

真珠湾攻撃後のFBIによる家宅捜査 (英語)

教師(1937-2021年)

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Mako Nakagawa
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マコ・ナカガワ

テキサス州クリスタルシティーで別人の様になっていた父との再会 (英語)

教師(1937-2021年)

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Mako Nakagawa
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マコ・ナカガワ

テキサス州クリスタルシティーで過ごした幼年期の思い出 (英語)

教師(1937-2021年)

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Jimmy Ko Fukuhara
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ジミー・コウ・フクハラ

真珠湾攻撃を知った時のこと(英語)

日系二世、連合国軍占領下の日本に駐留した退役軍人(1921年生)

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Peter Irons
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ピーター・アイロンズ

強制収容を知る (英語)

戦時中の裁判の再審要求を担当した弁護士(1940年生)

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George Yamada
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ジョージ・ヤマダ

真珠湾攻撃後に解雇された日系アメリカ人の鉄道労働者たち (英語)

初生雛鑑別師 (1923年生)

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Jimmy Ko Fukuhara
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ジミー・コウ・フクハラ

マンザナーへの旅(英語)

日系二世、連合国軍占領下の日本に駐留した退役軍人(1921年生)

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Margaret Oda
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マーガレット・オダ

戦中の社会貢献(英語)

(1925 - 2018)ハワイ出身の教育者、二世

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Jimmy Ko Fukuhara
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ジミー・コウ・フクハラ

マンザナーでの仕事(英語)

日系二世、連合国軍占領下の日本に駐留した退役軍人(1921年生)

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Roberto Hirose
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ロベルト・ヒロセ

日本の習慣(スペイン語)

二世日系チリ人、ビジネスマン(1950年生)

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Jimmy Ko Fukuhara
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ジミー・コウ・フクハラ

アイダホでのテンサイとじゃがいもの栽培(英語)

日系二世、連合国軍占領下の日本に駐留した退役軍人(1921年生)

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William Marutani
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ウィリアム・マルタニ

パインデールとツール・レイク強制収容所の回想(英語)

CWRICに関わった唯一の日系判事

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