ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1595/

第二次世界大戦中の祖父の取り調べ(英語)

(英語)収監の理由には、経済が絡んでいることは明白だと思っています。特に祖父の場合は、ビジネスリーダーで日本で教育を受けた帰米であるという事実は大きな要因だったと思います。日本からハワイに帰ってきた祖父が、一世と二世のどちらなのかという困惑もあったと思います。サンド島のあと、祖父はアメリカ軍取り調べセンターのツアーに連れていかれました。祖父はハワイに戻って来る前に、ウィスコンシン、ルイジアナ、アリゾナ州のどこかに行ったと思います。

誰もそのことについて話さない中、私が祖父から聞いて唯一覚えているのは、祖父は戻ってきた時には連れて行かれる前より30パウンドも体重が減っていたということです。尋問のために祖父は真夜中に起こされて、日本との繋がりについて聞き出しを受けていたのだろうと思います。とにかく、祖父がハワイに戻ってきた後、おそらく1942年の10月か11月に、祖父は私の祖母に「彼らはまだ自分を危険人物とみなしているから、きっとまたどこかの収容所に送り出されることになるだろう」と伝えました。


経済学 世代 ハワイ 投獄 監禁 日本 日系アメリカ人 帰米 軍の取り調べ 二世 アメリカ合衆国 第二次世界大戦下の収容所

日付: 2018年4月25日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ロバート・フジオカ氏は1952年にハワイのホノルルで生まれた。ミシガン大学に進学し学士号を取得した後、ハワイ大学でMBAを取得。1974年以来銀行業界に携わり、現在は全米日系アメリカ人博物館理事会の副会長を務めるほか、Clarence T.C. Ching FoundationとFirst Hawaiian Bank Foundationでも理事を務めている。(2018年11月)

フランク・ヤマサキ

ほこりだらけのミニドカ収容所の記憶(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

戦時中アメリカの爆撃に備えた日本での生活(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

戦時中に参加した日本での兵役訓練(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

先生から聞いた反アメリカプロパガンダ(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

第2次大戦中の日本での苦難(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

藤間勘須磨

戦中は隣人にホテルビジネスを預け収容所へ (英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

パット・アダチ

スロカン日系カナダ人収容所での家族生活(英語)

第2次大戦中の収容経験あり。日系カナダ人コミュニティのアクティブメンバー(1920年生)

ビンス・オオタ

在日3年後に決めた日本永住の理由(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

アイコ・ヨシナガ・ハージック

囚人のように思えた収容所生活(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

制度化されたシステムの悪影響(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

ビンス・オオタ

決してなることができない日本人(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

フランク・ソギ

ハワイ島コナのコミュニティ(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

フランク・ソギ

MISで出会った本土からの日系人(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

フランク・ソギ

日本の親戚を訪問(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

フランク・ソギ

アメリカ占領下の日本(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)