ディスカバー・ニッケイ

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リーマンショック以降の日系コミュニティの変化(ポルトガル語)

(ポルトガル語)リーマンショック以降、日系コミュニティに変化があった。ちょうどその頃、ブラジルは日本より景気が良かったので、ブラジル人は国に戻り始めていた。皆、新しく仕事を始める希望を持って。だから、こっちの大きな店、特にブラジル人の客を目当てにしていた店は影響を受けたんだ。

その後、東日本大震災があり、多くの人は放射線を恐れて、家族全員でブラジルに戻った。例え、お父さんがすぐに行かなくても、子供と妻はブラジルに戻ったのがほとんどだった。確かに大きな変化だった。

危機や震災にもかかわらず、ブラジルと比べる日本ではまだ生き残れる。だって、私たち(の商売)は外国人だけでなく、日本人やブラジル料理を好きな皆さんのお陰でやっていけるからね


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日付: 2016年10月19日

場所: 日本、群馬県

インタビュアー: 小嶋 茂

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

アントニオ・シンキチ・シコタは1962年9月12日サンパウロ州カンピナス市に日本生まれの両親の元生まれた。友人に誘われ、来日した。工場で働き始め、日本の暮らしにすぐに馴染んだので日本に居ることにした。ブラジル商品を移動販売する会社を立ち上げ、現在は群馬県大泉町に住んでいる。移動販売では、いろいろな商品を、特に日系人の客に直接販売している。大泉町の暮らしが気に入っている。(2018年2月)

Celia Oi
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セリア・オオイ

日系ブラジル人イメージに対する日本の影響 (ポルトガル語)

ブラジル日本移民史料館館長

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Doris Moromisato
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ドリス・モロミサト

日系人のペルー社会への融合 (スペイン語)

詩人、沖縄系ペルー人 (1962年生)

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Isao Taoka
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田岡 功

パラグアイからのデカセギ者の現状

パラグアイ駐日大使(1943年生)

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Toshiko Elena Onchi
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恩智 敏子 エレナ

デカセギ者としての移動によっておこる家庭崩壊(スペイン語)

在日日系ペルー人

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Paulo Issamu Hirano
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パウロ・イサム・ヒラノ

デカセギに来ていた父に呼び寄せられ日本へ移住

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

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Paulo Issamu Hirano
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パウロ・イサム・ヒラノ

日本に移住して苦労したこと

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

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Paulo Issamu Hirano
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パウロ・イサム・ヒラノ

デカセギから定住へ

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

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Juan Alberto Matsumoto
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ファン・アルベルト・松本

日本在住の日系人をサポート

日本在住の日系アルゼンチン人、二世(1962年生)

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