インタビュー
全米日系人博物館との関わり
YMCAを退職してから数年後のことでした。1986年にナンシー・アラキから電話がありました。彼女は、1986年当時の全米日系人博物館のプロジェクト・ディレクターでした。ナンシーがいつから働いていたかは分かりません。1985年でしょうか?とにかく電話が来て、「フレッド、お昼をご一緒しましょう」と言われました。ナンシーのことは、サンフランシスコに住んでいた時から知っていました。彼女の家族のことも、兄弟のことも知っていました。私が責任者をしていたパーク・プレシディオ地域のYMCAの拠点から1ブロック離れたリッチモンド地域に、当時まだ10代だったナンシーは住んでいました。それで、その電話を受けて、「いいよ、ランチに行こう」と言いました。でも、もちろんタダのランチではないことは分かっていました。そこから私の全米日系人博物館での資金集めのボランティア活動が始まりました。
日付: 2005年3月4日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: フローレンス・オチ、アート・ハンセン、西村陽子
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター