ディスカバー・ニッケイ

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帝国軍人になりたかった少年時代

太平洋戦争が始まるまでは別にアメリカ生まれだとか、二世だとか、そういう事で周りから変に見られたり、いじめられるという事はありませんでした。ただね、真珠湾攻撃が始まって二日目の朝でした。だから日本では12月8日だから12月10日。僕が学校に入って校舎の廊下で同級生とすれ違った時にね「おはよう」って言ったら、「おい、アメリカのスパイ!アメリカへ帰れ!」っていきなり言われたんです。

もう僕が小学校に入ってすぐに支那事変が始まり、そして小学校6年で真珠湾ですよね。だから、日本の風潮が軍国主義、国家主義に雪崩をうっていく時ですから、もう僕なんか、間違いなく軍人になる、これが僕の志望ですってね。陸軍士官学校を受験していて、入学直前になって終戦です。


世代 日本 日系アメリカ人 帰米 二世 真珠湾攻撃、ハワイ、1941年

日付: 2012年1月31日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ、西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1929年、カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれる。1931年、反日運動が盛んになる中、子どもの将来を心配した父が、家族全員で日本へ帰国すること決意。生後18ヶ月にして、日本へ渡る。1952年18歳の時、アメリカへ帰国。以来アメリカで生活を送る。現在はカリフォルニア州ローズミード在住。(2014年6月)

与那嶺要(ウォーリー・ヨナミネ)

1952年、戦後まもない日本での不自由な生活 (英語)

沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)

レイコ・T・サカタ

親の結婚

(1939年生まれ) 戦時中に家族とともに自発的にユタ州ソルトレイクシティに移住した実業家。