ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1356/

アニメ作成を開始(英語)

(英語)アニメーションはそんなに多く存在していませんでした。アニメーションのクラスもありませんでした。私はDon Grahamが教えていた夜間のクラスを取りました。ディズニーのアニメーションは、偉大なアニメーターに影響を与え、多くはDon Grahamから学びました。Donは私がこれまで会った中で最も素晴らしい先生のひとりでした。アメリカで一番です。彼はこの仕事をディズニーのためにやり、「ジミー、アニメ業界に入らないか」と言いました。いつも、アニメ業界は良い分野だと言っていました。私が「ああ、ミッキーマウスやドナルドダックとか…」というと彼は「いや、新しい動きがあるんだ」といいました。UPAと呼ばれるもので、ディズニーから離れた人たちの組織のことでした。ディズニーで共産主義狩りやストライキがあったとき、多くの人々がディズニーを離れ、UPAのアニメーションを始めたのです。彼らは素晴らしい伝統的なものを作りました。それで私は自分達がやっていることに気付き、すぐに関心を持ったのです。


日付: 2012年6月29日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: クリス・コマイ、ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジミー・ムラカミ氏は子供のとき、ディズニーのアニメを見たのがきっかけで映画アニメーターになった。それは第二次世界大戦中にトゥーリーレイクの強制収容所に入れられている日系アメリカ人を対象に見せられたものだった。ロサンゼルスのシュイナード芸術学校に在籍した後、UPAのアニメーターとして働いた。のちに1960、70年代に多数の有名なコマーシャルを生み出したムラカミ・ウルフ社を設立し、「風が吹くとき」や「スノーマン」の長編映画ディレクターとなる。近年アイルランドに住居を構えた後、2014年の2月に80歳で亡くなる。(2014年6月)

ウィリー・イトウ

アニメーションとの最初の出会い(英語)

第二次世界大戦中トパーズに強制収容された日系三世。受賞歴のあるディズニーアニメーター(1934年生)

ウィリー・イトウ

ウォルト・ディズニーとの初めての遭遇(英語)

第二次世界大戦中トパーズに強制収容された日系三世。受賞歴のあるディズニーアニメーター(1934年生)

ウィリー・イトウ

ディズニーのデッサンテスト(英語)

第二次世界大戦中トパーズに強制収容された日系三世。受賞歴のあるディズニーアニメーター(1934年生)

ウィリー・イトウ

イワオ・タカモト師(英語)

第二次世界大戦中トパーズに強制収容された日系三世。受賞歴のあるディズニーアニメーター(1934年生)