インタビュー
戦後の学校生活(英語)
(英語)終戦の頃には、私たちはすぐに受け入れてもらえるようになりました。オクラホマやメキシコの子供たちも増えていたからです。つまり、基本的に白人のみ、という環境ではなくなっていたので、行動しやすくなっていました。それに、私は何でもかんでもやりたがるタイプではありませんでした。リーダーシップをとるポジションにいました。先生と一緒に演劇部を作り、脚本を書き、小さいこども達と一緒に活動しました。しかも私は、厚かましくも市役所に行き、子供たちと夏の演劇会を開催することを宣言し、実行していました。相当肝が据わってないとできないようなことをたくさんやりましたが、でもなぜか…。よくわかりませんが、自分が彼らよりも優れているということを他の人たちに認めさせたい、というようなところが私にはありました。言葉にするとたちが悪く聞こえるかもしれません。でも、どういうわけか、当時の私にはそういうことができました。
日付: 2012年8月27日
場所: 米国、ワシントン州
インタビュアー: シンディ・ナカムラ、エミリー・アンダーソン
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター,ニットータイヤ「Life History Project」の協力。南カリフォルニア大学「Hapa Japan Database Project」による提供。
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ケニー・エンドウ
ネイティブアメリカンの居留地でのインターンシップ(英語)
和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)
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