インタビュー
ゼネラルモーターズ(日本語)
(日本語)ラリーがゼネラルモーターズにポートフォリオを出したのは、誰かから提出を促されたからでした。そして、ポートフォリオを受け取った人は、誰かを雇うよう他人に指図されることが気に入らなかったらしく、ラリーを当時の人事部か雇用部門のオフィスの待合室にただ座らせていました。翌日からラリーは毎日会社へ行き、8時間何もせず過ごし、それが数日続きました。彼は、そのような扱いを甘んじて受けるタイプではなく、自己主張が非常に強いので、最終的に社内の知り合いを捕まえて、「いったいどうなってるんだ?」と訴えました。会社の人たちは、「どういうことだ?」となりましたが、結局しかるべき部門の担当者のもとに案内されました。するとその人は、「うん、雇おう。彼だ、彼が欲しい。」と言ったので、ラリーは、ゼネラルモーターズに採用され、チーフデザイナーの1人に付いて働くことになりました。
このような言葉というか表現は正しくないかもしれませんが、こう言った方が伝わりやすいと思うので言いますが、ラリーは、チーフデザイナーのペット、つまり専用のデザイナーになりました。ラリーは、ゼネラルモーターズのスタイリング部門トップのビル・ミッチェルの下で、たくさんの本当にユニークな仕事をしていきました。ビル・ミッチェルは、ラリーの仕事を気に入り、任せた仕事は全てやり遂げてくれると信じていました。
I*:スティングレイができたのもその頃ですか?
まさにその通りです。ビル・ミッチェルのアイデアをラリーが実現しました。自動車業界はそのように成り立っていて、クレジットは全てチーフデザイナーかチーフスタイリストのものになりますが、実際に仕事をするのは彼らのスタッフです。でも、ラリーの仕事はラリー自身のクレジットになりました。ビル・ミッチェルはそういう人でした。そういう意味で、ラリーはミッチェル氏を崇敬していました。ラリーがミッチェル氏のために何をし、逆にミッチェル氏がラリーのために何をしたか、という話はたくさん残っています。
* ”I” はインタビュアー(アキラ・ボック)
日付: 2011年9月14日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: アキラ・ボック
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター