ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1270/

『Gidra』の内容 (英語)

(英語) 『Gidra』にかかわってきた私たちは皆、真面目に、そして真剣に作業を行っていましたが、たまには違うこともありました。それは『Gidra』にも反映されていると思います。帽子の作り方や、料理のレシピとか、そう、オックステールのシチューなんかはすごく人気でしたね。こうした内容には、ある意味、政治的な部分もあったと思います。周りの環境をコントロールしたり、異なることをやろうとしたり、といった意味でです。服を買いにデパートへ行く必要はなくて、自分で作れば良い。そういう考えね。よくヒッピースタイルと呼ばれていました。

そういう影響が少しはあったと思います。だって他のより多くの政治的問題や、戦争、市民権、ブラックパワーとつながっていましたから。ひとつの中で起きている問題なのではなく、これらの物事は他の問題とも切り離せないのです。すべてが疑問であり挑戦であって、何か新しいもの、より良いものを作ろうとしたのです。


コミュニティ 政府 アイデンティティ 政治

日付: 2011年9月28日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: クリス・クロミツ、ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

エヴェリン・ヨシムラ氏は、家族が第二次世界大戦の強制収容所があったアリゾナ州ポストンから移り住んだ場所、デンバーで生まれました。そしてまだ子供のうちに、ロサンゼルスのCrenshaw地区に移りました。1960年代の激動の公民権運動時代に主に黒人社会で育ち、1965年のワッツ暴動を直に目撃します。ドーシー高校卒業後、エヴェリンはカリフォルニア州立大学へ進学し、設立したばかりのアジア系アメリカ人研究プログラムの発展に貢献。この期間中、彼女は二十年にわたるリトル・トーキョーの文化的施設やアメラジアン・ブックストアの創設者の一人であり、『Gidra』のスタッフメンバーでした。『Gidra』は、挑発的なジャーナリズムの混合、グラフィック・アート、社会的・文化的・政治的事実を特集した革新的なアジア系アメリカ人の出版物です。

エヴェリンはリドレス・キャンペーンで活躍し、1981年に行われた一般人の戦時再配置及び収容に関する委員会のロサンゼルス公聴会のための重要なコミュニティ・オーガナイザーを務めました。現在は、LTSC (Little Tokyo Service Center) のコミュニティ・オーガナイジング・ディレクターです。2001年9月11日以降、エヴェリンはLTSCで、アラブ系アメリカ人とイスラム教徒の社会とのつながりの構築をはじめとした多くのプロジェクトに取り組んできました。(2012年8月)

 

モニカ・タイシャ―

ニッケイの定義(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

ミア・ヤマモト

アジア太平洋諸島法学生協会の共同設立

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

高校における黒人差別の理解

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

社会正義のために立ち上がる

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

サブリナ・シズエ・マケナ

カミングアウトが家族に与えた影響

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。