ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1182/

ビーチとアメリカ(英語)

(英語)気晴らしだったと思いますが、父は毎週私達をビーチに連れて行ってくれました。父はいつも背広を着てました。シール・ビーチというところで、日暮れにはみんな帰るんです。でもある日、父は座って海の方を見ていたんです。いつ帰るんだろうと思って、私たちは立ったり座ったりしたんですけど、父は何も言わないんですね。それで「お父さん、何を見ているの?」って聞いたら、お父さんが、「耳をすまして、寄せては退く波を見てごらん。どれもみんな形が違っているだろう」なんていうんです。 それで、その後いろんなことを聞いたんですけど、最後にアメリカについて話したんです。すると父は「アメリカ合衆国ほどいい国は無い」というんですよ。父の口からそんなことを聞くなんて驚きましたね。私もつい「本当?」って聞きなおしたんです。そうしたら父は、「アメリカではどこにでも自由に行ける」って言うんです。だから私は「たとえ日本人でも?」と聞いたら、「勿論だ」と言うんですよね。だから「じゃ、日本にはもう帰らないの?」って聞いたら、「そうだよ、どこの国よりもこの国が一番良い国だからね」って言ってました。


世代 アイデンティティ 移民 移住 (immigration) 一世 日本 移住 (migration)

日付: 2010年2月3日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: エイコ・マスヤマ、キャロル・フジタ、西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

マーガレット・クロイワ氏は、佐賀県出身の医師、ダイシロウ・クロイワ氏と妻のアグネス・ハルヨ・オガワ・クロイワ氏の3女として生まれました。父であるクロイワ氏は、ターナー・ストリートの南加日本人病院に勤める一世の医師で、地域の重要人物であり、タシロ医師と共にカリフォルニア州を相手取り訴訟を起こした、5人の医師の1人でした。彼が診察にあたっていた地域は、ボイルハイツとリトル東京のタウル・ビルでした。クロイワ医師は、モンロビア療養所で結核患者の治療にも当たっていました。マーガレットと4人の姉妹は、ファースト通りとフィケット通りに当時新設されたばかりの日本人病院で生まれました。(2010年4月11日)

ジョージ・アベ

収容所の中で才能を磨く (英語)

太鼓・尺八奏者(1944生)

ジョージ・アベ

「じいちゃん」や「ばあちゃん」と仲良しに (英語)

太鼓・尺八奏者(1944生)

リチャード・コサキ

ワイキキで育った経験(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

ロイ・ヒラバヤシ

太鼓演奏の哲学(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

母と祖母を見て学んだ日本の伝統(英語)

演歌歌手(1981年生)

モニカ・小木曽

日本文化の継承-日本語学校(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ピーター・ミズキ

目立ちたくない外国人(英語)

在日三世・剣道家

フランク・ヤマサキ

人類全体への思いやり(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

モニカ・小木曽

アイデンティティ・クライシス(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

家族以外の人前で歌うことはなかった演歌(英語)

演歌歌手(1981年生)

藤間勘須磨

日本舞踊を通して感じる日本人・アメリカ人の両アイデンティティ(英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

アメリカ人になろうとした結果(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

ケニー・エンドウ

ネイティブアメリカンの居留地でのインターンシップ(英語)

和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)