ディスカバー・ニッケイ

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日本人としての強いアイデンティティ

私はもう日本人の、特に外国に住むようになってから、やはり自分が日本人であるという意識は非常に強く持ってます。ですから、ペルーに30年住んでますけども、おそらくペルーの国籍というものを取ることはないと思います。えー、終生日本人でいたいと思ってます。でー、外国に住んでる日本人には様々なタイプの人がいるわけですけども、私の場合には、外国に長く住めば住むほど自分が日本人であるということの意識がますます強くなっている。であるがゆえに、日本に住まずに、外国でやはり日本人として生き続けていきたいという気持ちは、非常に強く、あの最近は持つようになりました。


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日付: 2007年5月7日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1948年生まれ。東京出身。早稲田大学教育学部卒業。数年後、ペルーリマ市へ移住。スペイン語を学ぶかたわら、天野博物館を創設・経営していた祖父の天野芳太郎氏の仕事を手伝う。その後、日系ペルー人2世と結婚。現在は、ペルーの文化研究家、土器・織物の収集・研究家、天野博物館の事務局長として発掘作業、博物館の運営に携わる。また、ペルーの民間外交官として、政府要人、経済人、マスコミ取材、TV番組制作などのアテンドも行っている。年に数回は日本を訪れ、全国各地で講演やパネルディスカッションを行うなど、広い分野において活動を行っている。(2007年5月)

天野美代子

天野芳太郎との出会い

天野博物館館長 (1929年生)

天野美代子

チャンカイ文化に魅せられた天野芳太郎

天野博物館館長 (1929年生)

天野美代子

日本語をより学ぶことになったきっかけ

天野博物館館長 (1929年生)

天野美代子

日本語とスペイン語両方を使って生活

天野博物館館長 (1929年生)

恩智 敏子 エレナ

日本のペルー人子弟のアイデンティティ危機問題(スペイン語)

在日日系ペルー人

ウィリアム・ホウリ

日本人ではなく日系人(英語)

政治活動家(1927-2010)

堀切 エドワード・徹

ボーディングハウスと一世

帰米二世(1929年生)

堀切 エドワード・徹

ホテル経営を始めた父

帰米二世(1929年生)

堀切 エドワード・徹

最も運に恵まれた一世(英語)

帰米二世(1929年生)

上杉 武夫

米国への見方を変えてくれたアメリカ人(英語)

一世のランドスケープアーキテクト(1940~2016年)

パウロ・イサム・ヒラノ

アイデンティティの変化

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

パウロ・イサム・ヒラノ

ニッケイという言葉について

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

パウロ・イサム・ヒラノ

娘のアイデンティティ

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

パウロ・イサム・ヒラノ

日本人へ帰化することについて

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。