インタビュー
海外移住のきっかけ
海外に出たいと思ったのは、一つはロッキー青木ね。ロッキー青木。それからもう一つは、生沢徹っていうレーサーね。それからあとは、ミツヤっていうね、闘牛士。日本人初めての闘牛士っていうのがいたの。これは、僕、子どもの頃「ボーイズライフ」っていう本読んでたらね、日本人でこういうのがいると。そしたら、すごいなーって思ったの。今なっても、僕すごいと思うのは、闘牛士になったやつっていうのはね、ものすご閉鎖的なの。だから、アジアの猿みたいなやつがね、できないわけですよ、普通は闘牛士なんてのは。それをやっちゃったの、この人。で、それが実はペルーの二世なの。えぇ。
で、僕はロッキーさんにも会ってるんだけど、実はだからみんなに会ってるの。で、そのリカルド・ヒガって言うんだけど、そのミツヤっていうのはね。その日本の名前がミツヤって言う名前なの。僕はミツヤっていうのは名字かと思ったら、名前だったのね。彼にも会って、いまだいまだに存命中で、ここで新聞社、編集長やってますけどね。うん。だから、彼らの影響っていうのはものすご強いわけですよ。やっぱり、我々も、子どもの頃から海外に出たいなぁっていうのはあったし。我々の世代っていうのは、みんな特にそうなの。
それかもう一つは、1972年ぐらいからドルショックね。うん。ドルショック。360円から300円になって。それから、日本中からトイレットペーパーが消えたり。あの時代ですからね。この時に、海外で頑張ればなんとかなるんじゃないかと。はい。
日付: 2007年4月18日
場所: ペルー、リマ市
インタビュアー: アン・カネコ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター