ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1122/

ペルーで日本料理をする面白さ

とりあえず本格的な日本料理がなかったってことですね。それが、第一。

それから第二はね、ペルーに来てみてびっくりしたんだけど、あの、なぜこう長く居るかっていったらね、なんでもできちゃうわけですね。自分がやりたい事。ていうのは、ぺルーっていうのは、世界のね、九割のミクロフリマ(?)があって、おそらく、作れないものはないっていうくらいほとんどの物が作れるわけですね。それで、海岸地帯はね、約2200キロの長さがあるんだけど、まぁ、魚介類も豊富だし。どうせ日系の方とか中国人の方がね、いっぱいいらっしゃるのでね、アジアの野菜とかそういうのが豊富だし。またね、おもしろい食材がいっぱいありましてね。

ま、松久さんもね、今「NOBU」というお店で、いろいろこちらの食材も使われると思うんですけど。えー、とにかく、新大陸発見なんて昔の人が勝手なこと言ってるんだけど、いわゆる旧大陸の人たちが新大陸に来て、びっくりした作物がいっぱいあるわけですよね。その種類の豊富さっていうのはもうこれはね、ちょっと今挙げられないぐらいたくさんあるわけですね。そういったものを、我々が、例えば唐辛子にしてもね、日本では唐辛子のただ単なる辛みを加えるぐらいしかないわけですけども、こちらではね、唐辛子の味が全部違うわけですね。その味を引き出しながらやっていくとかね。いろんなね、いわゆるフュージョン料理ね、が楽しめるわけ。これは、商売で儲かるとか儲からんっていう前に、我々は職人としてね、非常におもしろいところがいっぱいあるわけですよ。はい。


料理 料理 (cuisine) 食品 多国籍料理 ペルー

日付: 2007年4月18日

場所: ペルー、リマ市

インタビュアー: アン・カネコ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1953年7月11日、宮崎県西都市の老舗和食料理屋の4代目の息子として生まれる。6歳のころからレストランの厨房で遊んでいた小西氏は、11歳の時修業のため他の料理人候補たちと共に厨房の手伝いをするようになる。その後、16歳で上京し、1971年に料理屋「ふみ」のシェフになる。

1974年、アメリカや日本などで和食創作料理で知られている「NOBU」のオーナー松久信幸と共にペルーへ移住。「Matsuei」という和食レストランで10年間シェフを勤めた後、リマ市内のシェラトンホテルで「Wako」と「Toshiro’s」を開店。2002年には、サンイシドロ地区にある「Sushi Bar Toshiro’s」のマネージャーも勤めるようになる。

レストラン経営の傍ら、San Ignacio de Loyola大学でも教鞭を執っったり、世界各国の料理フェスティバルへも参加し、創作料理「ペルービアン・フュージョ ン」(日本とペルーの創作融合料理)を紹介し、数々の表彰を受ける。2008年には、ラテンアメリカに定住している日本人シェフでは始めて、日本政府より農林水産大臣表彰を受賞した。(2009年10月)

Michelle Yamashiro
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ミシェル・ヤマシロ

三か国語を使った沖縄での活動(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

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Jimmy Naganuma
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ジミー・ナガヌマ

ペルーから米国へ強制連行(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

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Jimmy Naganuma
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ジミー・ナガヌマ

ペルーでの子供時代の思い出(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

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Jimmy Naganuma
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ジミー・ナガヌマ

クリスタルシティでの最初の食事(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

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