インタビュー
無我夢中で頑張った戦後
終戦後、進駐軍に働いて、働き始めたころは、もう英語ぜんぜんダメだったですね。もう全部忘れてましてね。でも、こう交わって、みんなと話して、アメリカのGIと話ししたりして。やっぱりピックアップは早かったですね。あ、ああいう言葉と。あのときは、本当、今から思えば、もっと勉強しなきゃいけなかったんですけど。とにかく、自分でがむしゃらながらでも、一応ゲットバイ(とりあえずやってみる)、ということで、横浜で通訳をしたときも、まあまあまあと一応通って、アメリカの軍隊に入ってもまあまあね、あれですよ、本当に日本の教育も中学を卒業して、大学も行かずにあれして。アメリカに来てから、今度、アメリカの大学も行けずに、仕事、終戦後すぐ始める。ですから、勉強の方は中途半端で残念なことしたなあと思っているけど。まあ、子どもを育てて、子どもたちはみな大学まで行って、嬉しかったですよね。
日付: 2008年6月17日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: 西村 陽子
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
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与那嶺要(ウォーリー・ヨナミネ)
フットボールのトレーニングのために100ポンドの芝を担いで山を越える (英語)
沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)
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