ディスカバー・ニッケイ

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休暇中にマンザナールを訪問できなかったこと(英語)

(英語)名前は忘れましたが、少佐、または当時の大尉がキャンプ・グラントに来て、陸軍情報部日本語学校への志願者を募っていきました。僕は大勢の友人たちと一緒に志願し、キャンプ・サベージへ行きました。通常であれば、クラスは6ヶ月間開講されますが、僕は上級者向けとされる3ヶ月の特別クラスに配属されました。学生のほとんどは帰米で、二世は1人か2人しかいませんでした。大変な目に合いましたね。帰米のように日本語ができるわけではありませんでしたから。彼らの2倍は勉強しなければなりませんでした。 僕たちは皆と仲良くなり、海外派遣される前に休暇を取ることになりました。僕は、マンザナールに行きたかったのですが、止められました。なぜ行けないのか聞くと、兵士であっても二世がウェスト・ディフェンス・ゾーンに入ることは許されない、と言われました。

この規制は後に廃止されましたが、僕たちはマンザナールに入ることは許されませんでした。 僕はいよいよ激怒し、20人位が一斉に声を上げ、抗議しました。「国家への忠義に関する質問」が出されたのはちょうどこの頃でした。項目27、28番目の質問に対し、僕は合衆国に忠誠を誓うが、外国戦線への出征命令には応じない。自由の為の僕の戦いは、外国にではなく国内にある、と回答しました。


軍隊 (armed forces) 軍隊 第二次世界大戦

日付: 2005年3月25日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ソージン・キム

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

セドリック・シモ氏は、1919年に生まれ、ロサンゼルスの多人種が混在する地区ボイルハイツで育ちました。シモ氏は、ボーイスカウト活動や剣道に取り組み、日系人スポーツクラブのクーガースでも活発に活動しました。シモ氏は、カリフォルニア大学バークレー校の大学院に在籍していましたが、真珠湾攻撃の次の日、徴兵令状を受け取りました。彼は、アメリカ陸軍情報部語学学校への配属を希望しました。しかしながら、休暇中にマンザナーに強制収容された母親への訪問を禁じられたことに激怒し、外国戦線への参加を拒否しました。その結果、彼は、工兵第1800大隊に配属されました。この部隊には、疑いをかけられたドイツ系、イタリア系、日系人が配属され、戦闘隊が訓練中に壊した道路、橋、フェンスの修復工事にあたりました。シモ氏は、工兵第1800大隊を名誉除隊した後、ボイルハイツへ戻り、ホンダに就職し、輸出担当部門で副代表となりました。

2008年11月20日、日本政府は、日米貿易摩擦が問題となった時期、当時ホンダで働いていたシモ氏が、両国間の貿易推進に寄与したことを評価し、旭日双光章を授与しました。

2020年4月、100歳で亡くなりました。(2020年4月)

Yuri Kochiyama
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ユリ・コチヤマ

真珠湾攻撃の日(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

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Grayce Ritsu Kaneda Uyehara
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グレース・ウエハラ

収容所の補償運動の達成と教育(英語)

(1919 - 2014年)日系アメリカ人の強制収容所に対する補償運動や公民権運動で活躍した活動家。

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Wakako Nakamura Yamauchi
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ワカコ・ヤマウチ

真珠湾攻撃後のカリフォルニア州オーシャンサイドでの日系アメリカ人学生としての経験(英語)

アーティスト・劇作家。(1924 - 2018年)

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Roy H. Matsumoto
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ロイ・H・マツモト

日本兵捕虜の中にいた自分の親戚(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

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Richard Kosaki
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リチャード・コサキ

第2次大戦中の陸軍語学学校での教鞭(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

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Richard Kosaki
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リチャード・コサキ

第2次大戦後の東京(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

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Frank Yamasaki
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フランク・ヤマサキ

ピュアラップ集合センターで失った青年期の能天気さ(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

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Frank Yamasaki
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フランク・ヤマサキ

ほこりだらけのミニドカ収容所の記憶(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

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Frank Yamasaki
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フランク・ヤマサキ

徴兵拒否の決意(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

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George Azumano
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ジョージ・アズマノ

真珠湾攻撃後にアメリカ軍から除隊(英語)

アズマノトラベル創設者

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George Katsumi Yuzawa
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ジョージ・カツミ・ユザワ

JACLの全米書記マイク・マサオカの1942年のスピーチへの反応(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

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George Katsumi Yuzawa
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ジョージ・カツミ・ユザワ

1942年10月の妹の死(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

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George Katsumi Yuzawa
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ジョージ・カツミ・ユザワ

戦中のニューヨーク市での最初の印象(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

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George Katsumi Yuzawa
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ジョージ・カツミ・ユザワ

真珠湾攻撃後の近所の同情(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

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Francis Y. Sogi
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フランク・ソギ

MISで出会った本土からの日系人(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

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