インタビュー
立場を明らかにすることへの願望 (英語)
(英語) 私は(日系人が置かれた)状況すべてが不当だと強く感じていました。政府が日系人をそのような状況に追いやり、その一方で、外の自由な人々と同等に私たちを徴兵しようという政府の方針は、公平ではありません。到底受け入れられるものではありませんでした。我々の多くがそう感じていたからこそ、公平委員会を立ち上げる一歩を踏み出すことができたのです。何回かのミーティングの後しばらくして、私たち何名かは、委員会の活動をもう1歩前進させたいと思うようになりました。
情報を伝えるだけの活動ではなく、この状況に対する我々の態度を明らかにする活動ですね。1人か2人、会の活動をそこまで推し進めることに否定的だった人がいたので、会の今後の方向性を考えるかなり深刻な委員会が開かれました。反対だった人は、何かトラブルが起こるかもしれないと言い、そのうちの1人は、当時既に大学を卒業していたポール・ワカナテでした。彼はスピーチが得意で、素晴らしい演説者だったんですよ。でも彼は、「活動をそんなに強硬にしない方がいい。」と言ったんですね。私は彼とずいぶん激しく言い争っていたのだと思いますが、仲間の1人に、「フランク、君が僕にそんな口のきき方をしたら、僕は君を殴りつけるかすぐにその場を立ち去るかどっちかだろうね。」と言われたんですよ。そして投票をしたところ、より強硬な態度をとっていきたいという人たちの方が多かったので、私たちは自分たちの権利が回復するまでは、兵隊に行かないことを公の場で表明したのです。
日付: 2006年5月9日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: リサ・イタガキ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
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