Toshiro Obara

メキシコ生まれ日系メキシコ人二世。筑波大学卒業後、ボストン大学大学院進学。国際関係学修士。現在はロサンゼルスでReiyukai Americaにて事務局長として勤務。

(2015年10月 更新)

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Nikkei Chronicles #5—Nikkei-go: The Language of Family, Community, and Culture

三人の子どもたちへ —お父さんの多言語生活体験—

三人の子どもたちへ

こんにちは。元気ですか?

君たち三人は、このアメリカという国で生まれて、家の外では英語で、そして家の中では日本語を話すという多言語な生活をしていますね。現地の学校に通いはじめてから英語がとても上手になってきて、英語で話しをするのは簡単だと思って欲しい反面、日本語で話しをしたり、聞いたり、書いたり、読んだり、考えたりすることは面倒くさい事だとは思わないでいてほしい。お父さんも子どものころは、メキシコに住んでいたので、家の外ではスペイン語、家の中では日本語という生活をしてきました。

今日はお父さんの子どもの頃から今に至るまでの経験を伝えながら、君たちに多言語は面白いという事を感じてほしいと思います。

さっきも言ったけど、お父さんは、メキシコで生まれて高校を卒業するまでメキシコに住んでいました。君たちのメキシコのお祖母ちゃんこと、お父さんのお母さんが、決まってする話しがあります。お父さんが小さかった頃、メキシコ人の友達に日本語を教えるためにこんな事を言ったそうです。 

「あでぱと いでぺろ うでこねほ」

なんのことか分かりますか?

「あ、デパート? 井出ぺろ? 腕こね帆?」

未だこれだけだと、なんのことか分からないね。じゃぁ、この文章をスペイン語にしてみましょう。

“A” de pato, “I” de perro, “U” de conejo.

最初の日本語文の「で」以降はスペイン語だと考えると分かりやすくなります。でも、まだこれだと文章としては意味をなしてないよね。なので、次は解説をつけてみます。

「あ」de Pato (Pato=あひる=Ahiru )、「い」de Perro (Perro=いぬ=Inu)、「う」de Conejo (Conejo=うさぎ=Usagui)

わかりましたか?小さかった頃のお父さんは、スペイン語を話す友達に日本語を教えようと思って、日本語とスペイン語を上のように混ぜて話しをしたことを、君たちのお祖母ちゃんは昨日の事の様に楽しそうに話しをします。また、小さかった頃のお父さんは、こんな事もいったそうです。

「お母さん!今から、ぼく、この階段をばはるからね!」

なんのことかわかりますか? 

ばはる? 場を張る? 縄張り? 階段で? 

さっきと同じ様に、スペイン語を混ぜて考えると分かる様になります。つまりこういうことです。

「お母さん!今から、ぼく、この階段をBajarからね!」

わかりましたか?まだ小さかった頃のお父さんは、スペイン語の「下りる」という動詞Bajar(バハール)を日本語の様に活用して君たちのお祖母ちゃんと話しをしたみたいです。

変化/活用する前のスペイン語の動詞が全部「R」で終わるということ、同じく変化/活用する前の日本語の動詞が「る」で終わるということを、お父さんは共通点として認識したみたいですね。

他の例をあげてみましょう。

「食べる」のスペイン語は「Comer」ですが、カタカナでかくと、コメールとなり、発音すると「こめる」と聞こえます。逆に「食べる」をスペイン語っぽく書いてみると「Taber」と書けます。これを踏まえて、こんな文章を作ってみました。

お父さんは今からこの弾丸をコメール。(いいえ、弾丸を込めるのではりません、comerのです。)

Voy a TABER unas pizzas en una taberna.  (¿A caso, es una coincidencia que 食べる y Taberna suena muy parecidas?)

日本語とスペイン語を理解している人であれば、この二つの文章の可笑しさや滑稽さを楽しんでもらえると思います。他には、日本語の地名や言葉をスペイン語として聞いてみたり、逆に、スペイン語を日本語として聞くといった言葉遊びも楽しいと思います。少し例をあげてみると・・・

新宿 → Sin Juku

Sin は「〜〜が無い」という時に使います。Jukuとやらが何かはわからないけど、スペイン語の耳では、新宿はJUKUのない場所ということになります。日本語で新宿の名前の由来を知っていたら、スペイン語にしたとたんに意味が矛盾するところがお父さんは面白いと思うんだよね。

秋田 → Aqui’ta

Aquiは「この場所という意味での〝ここ〟」という意味です。’ta は居るという動詞estarの二人称または三人称現在形のestá を短縮して発音した様に聞こえるので、Aqui’ta は誰かは分からないけど、どうやら「ここにいる」ということが分かります。秋田にいるその人はやっぱり美人なんでしょうね。

Queretaro → 蹴れ、タロー

水道橋があることで有名なメキシコのとある町の名前を日本語の耳で聞くと、とたんに、サッカー少年たちの会話に聞こえてくるのが面白い。

Otorrinolaringólogo → 囮野良リンゴ ロゴ

耳鼻科のことをスペイン語ではこう書くのですが、日本語の耳で聞いたとたん、囮の野良リンゴのロゴと聞こえて、野良リンゴが囮の状態のロゴってなんだろう?と考えるとおかしくなっちゃいます。

こういった言葉遊びの多くは、ダジャレだったり、ゆかいな情景を想像するだけのものだけど、こういう経験の積み重ねがあって、お父さんは多言語生活は楽しいと感じるようになったと思います。この手紙に書いていることの全てをお父さんが子どもの頃から理解していたはずはありませんが、少なくとも君たちのお祖父ちゃん、お祖母ちゃんは、お父さんが子どもの頃から、両方の言語に苦手意識を持たない様に育ててくれたことは間違いありません。

だから、お父さんも、君たち三人が君たちも英語と日本語の多言語生活を通じて、自分たちの楽しみ方を見出してほしいと思います。今度、英語に聞こえる日本語や、日本語に聞こえる英語の言葉さがしをしてみようね。

                          …

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Nikkei Chronicles #4—Nikkei Family: Memories, Traditions, and Values

三人の子どもたちへ ―命と縁のはなし―

三人の子どもたちへ


こんにちは。元気ですか?

今日は君たちに、自分たちがどこから来たのかを知ってほしいと思い、この手紙を書いています。難しい言い方をすれば、君たちの命の源、そして「縁」というものに触れてほしいという思いをこめて、この手紙を送ります。

今の君たちはそれぞれ4歳、2歳、そして7ヶ月だから、まだ何の事か分からないかもしれないけど、この手紙を読んでもらう日がくる事を願って、君たちの命の源そして縁にまつわる話をしたいと思います。とはいえ、お父さんができるのは、君たちという命の半分の話だけ。残りの半分はぜひ君たちのお母さんから直接聞いてくださいね。

お父さんは、アメリカの南にあるメキシコという国で生まれて18歳までお父さんのお父さんとお母さん、つまり君たちから見れば、メキシコのお祖父ちゃんとお祖母ちゃんの家で育ちました。

メキシコのお祖父ちゃんとお祖母ちゃんは日本の大阪という街で結婚して、それからメキシコに行ったのですが、その前に少しだけアメリカとメキシコの国境沿いにあるカレキシコという町に住んでいたことがありました。メキシコのお祖母ちゃんはお父さんを妊娠し、アメリカでいよいよ出産という時になってとても怖い夢を見たそうです。その夢を見て、お父さんをアメリカではなく、メキシコで産むことに決めたと聞きました。メキシコのお祖母ちゃんは大きなお腹を抱えながら、お祖父ちゃんと一緒に荷造りをして、カレキシコからメキシコへ引越しをすることになりました。

メキシコのお祖母ちゃんは、昔からとても英語は上手だったけども、この時はまだ、スペイン語は話せませんでした。だから、スペイン語を話せない色白の身重のアジア人夫婦が沢山の荷物を持ってメキシコに入国をしようとした時、税関の人たちは、きっとこの夫婦からお金をふんだくれると思ったことでしょう。でも、君たちのお祖母ちゃんはすごい人です。メキシコの空港で税関職員に向かって英語でお祖母ちゃんはこう言ったそうです。

「アメリカで子供を産むために大勢がメキシコからアメリカに行っていると聞いています。私はメキシコ籍の子どもを産むためにアメリカから来ました」と。これを聞いた税関職員たちは、何も徴収せずに全ての荷物を通したそうです。メキシコのお祖母ちゃんのこういう思いのお陰で、お父さんはメキシコで生まれ、そしてスペイン語も話せるようになりました。

メキシコのお祖父ちゃんは、孫の君たちから見れば、いつもスマホを触らせてくれる優しいお祖父ちゃんだと思うけど、お父さんからみればとても厳しい人です。子どもの頃は、お父さんはメキシコのお祖父ちゃんに叱られるのが一番怖かったです。メキシコのお祖父ちゃんは、いつも仕事で忙しく、家にいないことも多かったけど、本当に家族のことを考えてくれていたんだなぁと思います。

そんなメキシコのお祖父ちゃんは昔も今もアイデアマンです。いつも新しい事を考えています。そして、それを実行できるすごい人です。お父さんが高校卒業を間近に控え、どこに進学をしようかと考え始めていた時の事です。

メキシコで生まれて育ったお父さんが日本で勉強するには、日本語の語学力が十分ではなかったことも頭にいれて、メキシコのお祖父ちゃんはお父さんにこういいました。「そろそろ大学を考えないといけないけど、どこに行くにしても、入学願書というものがあって、なぜそこの大学で学びたいのかを書かないといけないから少し考えて練習しなさい」 

当時のお父さんは言われるまま、なるほどと思いながら、大学で勉強したいことを一生懸命考え、作文を書く練習をしていました。メキシコのお祖父ちゃんはその作文を何回も見てくれて、何回も直してくれて、そしてお父さんも何回も書き直しをしました。そして、「うん、これでいいね。いい志望理由になった。じゃ、これ本番」と言われて渡されたのが、なんとお父さんが進学することになった筑波大学の入学願書でした。もっと言うと、お父さんは、それが入学願書だと気付かず、清書し終えた時、入学願書を書き終えていたことに気が付いたぐらいです。(どうやら、最初からメキシコのお祖父ちゃんはその大学にお父さんを通わせるために準備していたみたいですね。)そうして、無事に筑波大学に入学して、君たちのお母さんとなる人に会うことになります。

人生というのは本当に不思議なことが一杯で何があるかわかりません。もしメキシコのお祖母ちゃんの夢が怖くなかったら、お父さんはきっとアメリカで生まれていたでしょう。メキシコのお祖父ちゃんが違う大学の願書をお父さんに書かしていたら、きっと君たちのお母さんと出会う事はなかったでしょう。たくさんの縁そして命の繋がりがあって、お父さんもお母さんも生きています。そして二人から君たちという三人の命を授かることができて、本当に嬉しく思います。生まれてきてくれてありがとう。

お父さんは家族のことをみんなに紹介するとき、必ずこういいます。

「僕は日系メキシコ人二世。奥さんは日本生まれ日本育ち。そして三人の子どもたちはアメリカ人です」って。

アメリカは移民の人たちが一生懸命頑張って作り上げてきた国です。そんなアメリカで君たちを育てることができて嬉しい反面、自分たちという命が生まれるには、どれだけの縁そして命が繋がってきたかを知っておいて欲しいと思います。同時に、自分たちが親・先祖から受け継いできたものを知り、良いものを次の世代に残し、直したほうがいいものは直し、止めたほうがいいものは断ち切って前に向かって生きていってください。お父さんもお母さんも一生懸命応援しています。

次の手紙では、君たちの半分は島根と大阪から来ているという話を聞かせてあげるね。では、また。

                                                                           お父さんより

 

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