1966年9月11日の夜、私達を乗せた「さくら丸」はサントス港に碇を降ろした。翌日の朝からざわざわと下船が始まる。荷物下ろしも入国手続きもまったくのろく、私を迎えに来た老いた「パトロン」(雇用主)夫婦は早朝から待っていたそうだが、税関吏が荷物検査を終えて、サントスから奥地に向かったのは薄暗い夕暮れ時だった。
三人が乗った小型のワーゲン車「フスカ」(愛称:カブトムシ)は軽快な空冷エンジンの音を響かせながら、海岸山脈の峠を登った。大分経って、「フスカ」は大都会のサンパウロ市内を横切り、イビウナ郡へ向かう街道に入った。くねくねと曲がった街道は上へ上へと向かっている。途中、小高い丘の上にあるコチアの街の中の「バール」(スナックバー)と呼ぶ軽食店の横に車を留めた。
「パトロン」が手を挙げて奥にいる人物になにやら声を掛ける。のっそりと出て来たちょび髭の男が「ナンダ?」と無愛想に答えた。夜なのに中折れハットを帽子を被っている。「パトロン」は指を4つ突き出し「カフェジニョ」(コーヒー)と云った。
カウンターの内側に金属製の湯沸かし器に似た容器が於いてあった。横に湯を張った四角い温浴漕が並ぶ。湯気が立ち上っているので熱いのだろう。ちょび髭は小さなコーヒー椀を温浴漕の湯に潜らせて水を切り、湯沸かし器の蛇口からコーヒーを注ぐ。カウンターに並んだ小さな受け皿に湯飲みを置いて、まず私の前に差し出した…