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ホノルルの向こう側 ~ハワイの日系社会に迎えられて~

第7回(前編) ハワイの日系人は個人主義的か

このエッセイは今回から全12回の後半に入る。これまでの6回の内容はハワイの日系人の文化的側面に焦点を当て、日本文化と日系文化を対比させながら考えてきた。とりわけ私の現地の保護者のような存在であるMさんの忠告に従って、ハワイの日系人の多様化に注意を払いながら、一般化し過ぎることのないように心がけてきた。迷った時には、毎年の定期的な滞在に加えてぶらりとハワイに行ってみたりもしている。

後半に入る今回は、「第2回 オシャレをしてもお洒落ではない?」の冒頭に書いた「日系人の多様化」について今一度考えてみようと思う。さらに、それが理由となってハワイの日系人は個人主義的になっているのかどうか確かめてみることにしたい。

海外に出ると日本人はよく集まって一緒に行動すると言われてきた。パック旅行はその典型的なもので、多くの日本人は海外では一人で何もできない、などと言われたものだった。集まるか単独行動をするかは、旅慣れているか、現地に適応できているか、などのバロメータとして判断されることも多かった。

しかし、日本人に限らず人間は他人に自分と似たところを見つけて、互いによく集まるものである。日本でも、たとえば私が働いている大学でも、同じ国や近い国同士の留学生たちで集団をつくっている光景は普段からよく目にしている。


日系人が個人主義的といわれる理由は何か

トロピカルな太陽の下で多民族が生活している。

MさんLさん宅のガレージ前でゴルフのスイングを教わっていた時に、Mさんがボソッと呟いた。「日系人は一緒に生活できないんだよな」と。「一緒に生活する」という意味がよくつかめなかったので、具体的にどういうことなのか訊ねてみた。

べつにMさんは無理に親族と一緒に同居したり、互いに近所に暮らしたりしたいと考えているわけではない。個人的な願いがあるわけではないようだ。かつてハワイの日系人は、今のハワイ系やフィリピン系、中国系や韓国系の人たちのように、一定の地域に集住していることが多かった。もちろん後者らにも家族規模や家屋の形状や大きさに違いはあるし、集住の程度もまちまちである。しかし日系人と較べて家族親族の人間関係が濃く、毎日のように顔を合わせる生活をしているというのである。このことを「一緒に生活」しているとMさんは言ったのだった。

ハワイ系の人たちが多く住んでいる地区としては、東のワイマナロ、西のナナクリやワイアナエがよく知られている。さらにナナクリの隣のカポレイは最近大規模な都市開発が進んでいて、この地区にもハワイ系の人口が増えている。これらの各地区はハワイ系に優先的に分譲されたハワイアン・ホームステッドを擁しており、そうした積極的優遇措置政策(アファーマティブ・アクション)も集住の要因になっている。

カリヒやワイパフといえば、その赤茶色の土地の色とフィリピン系の人たちが多く住む地区としてのイメージが自然に重なる。ワイパフは製糖業の衰退とともに日系人が街を出て島のあちこちに散り、フィリピン系の人口がさらに増えていった。選挙期間に街を訪れると、フィリピン系候補の垂れ幕が家の塀に所狭しと掲げられているのを見ることができる。カリヒでも同様に、同じ民族の候補者を懸命に応援している。

カリヒの東側の地区には立派なチャイナタウンがある。早朝から昼前まで、大変な賑わいを見せている。ハワイにいても夜更かし朝寝坊の私は、早朝のチャイナタウンに行くことはめったにないが、夕方や夜、出先から戻るときに車で通ることは毎日のようにある。中国系の商人たちが荷物を片付けたり、翌日の準備をしたりしている。

朝の卵かけご飯はハワイでも人気があるが、生卵のまま食べることのできる新鮮な鶏卵は、以前はオアフ島の裏側のカフクあたりの農園まで買いに行かないと手に入らなかった。今では韓国系の店が増えたアラモアナ・ショッピングセンターの北側の地区に行けば、採れたての生卵を買うことができる。

このように、「なに系」はどこの地区に多く住んでいる、と言える民族がいくつも存在する一方、日系人については、どの地区に集住しているかは簡単には言いにくい。かつては民族ごとの「棲み分け」を示した地図も売られていて、私が長期に観察をしている小学校の図書館や教室にも置かれていたが、あまりにも古くなって処分されてしまったようである。その後、新しい版が発売されたという話もない。異人種異民族間結婚がごく普通のこととなり混血が進んでいることと、人数的に依然多数派の日系人が集住しなくなってきたことなどから、地図の作成が難しくなったのではないかと思う。

それではなぜ日系人は「個人主義化」したのだろうか。このエッセイの第2回には、「日系社会で求心力を誇っていた大物二世、たとえばダニエル・イノウエやジョージ・アリヨシらが一線から退き、時代の中心は三世に徐々に受け継がれていった。(中略) 諸々の事情を理由として、三世以降の世代の日系人たちは多様化していった」と書いた。多様化すると人間の集団は細かくなる。緩やかな結びつきは残しつつも、その下位の次元の共通性にアイデンティティを感じて強く結ばれる。しかし要因はそれだけだろうか。


社会的地位が向上すると集住しなくなるのか

中国系は世界中にチャイナタウンを形成している。先にも書いたがホノルルのチャイナタウンも活気がよい。以前ほどの賑やかさではないとは聞いているが、それでもそこはまさに中国である。料理に精通するMさんLさんも、ここにしかないものがいろいろある、と言っている。

かつて中国人移民たちは、後からハワイにやってきた日本人移民たちよりも早くサトウキビプランテーションを出て、街に住み、商売をするようになった。農園労働者から自分の仕事を持つようになったということである。そしてその後、ハワイの経済界を支えるようになっていった。

この一つの事例だけからも、「社会的地位が向上すると集住しなくなる」とは言えないようである。

チャイナタウンに行けば様々な方言の中国語が、コリアンタウンに行けば韓国語が聞こえてくる。フィリピン系もタガログ語で話している。みな母語で生活し仕事をしている。

言語、ことに母語の問題は大変重要で、アイデンティティの形成に強い影響をもつとされている。「三世には日本語学校に通った者も多くいたが、戦中の強制収容や日系人に対する敵視政策などが原因で、アメリカへの忠誠を表す意味で日本語を学ばせない家庭も少なくなかった。」(「第2回 オシャレをしてもお洒落ではない?」)そのため日本語に不自由しない者から聞くことも喋ることもできない者まで、三世は言語的に多様化していった。そして四世の多くは日本語を日常生活では使っていない。私はこれまでに日本語を自在に操る四世には出会っていない。こうした「(英語への)言語的同化」がハワイ日系人の「多様化、細分化、分散」の大きな要因となっているのではないかと思えるのである。ジャパンタウンはハワイから既になくなってしまったし、北米大陸にも数えるほどしか見られない。

第7回(後編) >>

 

© 2016 Seiji Kawasaki

diversity hawaii individualist nikkei

Sobre esta série

小学生の頃からハワイに憧れていたら、ハワイをフィールドに仕事をすることになった。現地の日系人との深い付き合いを通して見えてきたハワイの日系社会の一断面や、ハワイの多文化的な状況について考えたこと、ハワイの日系社会をもとにあらためて考えた日本の文化などについて書いてみたい。