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偉大なる彫刻家 ノグチ・イサムの生涯 -その7/9

>>その6

新婚旅行から帰国したイサムと淑子は、北大路魯山人の北鎌倉の屋敷の離れを借りて、住まいとアトリエを構え、新婚生活を始める。イサムは、魯山人の釜で陶芸に勤しんだ、淑子は、北鎌倉から撮影所に出かける毎日であった。・・・・・

北大路魯山人は、京都の上賀茂神社の社家、北大路清操、とめの次男・房次郎として生まれる。6歳の時に木版師・福田武造の養子となり、10歳の時、丁稚奉公に出される。書・篆刻(てんこく)を学び、優れた才能を発揮する。これらは、後の魯山人のすべての仕事の基礎となって行く。成人になってからの出来事として、社家の北大路家の跡目が変死体で見つかり謎の自殺を遂げた。その後、なぜか?魯山人はいつの間にか、それ以後、北大路家を名乗ることになる。・・・・・

2000 The Isamu Noguchi Foundation, Inc, USA

魯山人は陶芸だけではなく、多技多芸に渡った。その一つに料亭「星岡茶寮」の主宰となり、料理人として、会席料理の創始者としても知られている。味にうるさく、舌の厚みは人の2倍あったらしく美食家であった。料理を工夫して自分の創作の焼き物に盛った。「食器は料理の着物」と魯山人らしい粋な言葉を残している。多芸ではあったが、すべてにおいて非凡さを感じるものであった。川魚やタニシの刺身は、珍味でうまいと好物にしていたが、女性料理研究家から、川魚には虫がいるから生で食べては駄目と言われていたにもかかわらず、忠告を聞き入れず、そのことが元で、寄生虫のジストマ肝硬変で亡くなっている。73歳であった。・・・・・

魯山人は、幼年の頃、風呂も入れず汚い格好で、中京区の街を走り回り、いつも蚤を身につけてボリボリと体を掻いていたらしい、肌はかき傷で赤く腫れ上がり、出血し痛みを伴っていた。そうした幼年の時の苦痛な体験から、陶芸家として大成して鎌倉に屋敷を持ってからは、毎日、2,3度、新しい下着に取り替るのが常であったらしい。・・・・・

魯山人は、パリで「現代日本陶芸展」に出品した時、パブロ・ピカソが魯山人の作品を観て、感銘を受け、彼の作品を賞賛した。ピカソは、多分、魯山人に影響を受けたに違いない。その後、焼き物に絵付けをした作品を多く手掛けている。魯山人に触発されたように、自由奔放に筆が走っている。その後、魯山人は、ロックフェラー財団から招待されて、アメリカとヨーロッパで展覧会を開いている。展覧会に関して、一部始終、イサムは魯山人の手助けをした。イサムの存在は非常に大きかった。・・・・・

イサムは、日本に住み、日本を深く知ることに関しては、大いに収穫はあったが、しかし、当時の日本の文化には、疑問を持っていた。世界から見た場合、遙かに時代から遅れていることに気付き始めていたのである。イサムにとって、刺激となる環境がなかった。イサムは、日本を脱出して、再び、二人してアメリカに行くことを淑子に伝える。

1953年、先に、イサムはニューヨークに行くことになり、後から淑子も行くことになっていたが、淑子のビザが下りない問題が発生したりした。理由はよくわからなかったが、暫くしてビザを貰え、ニューヨークでの6ヶ月間の生活が実現した。淑子は女優としての仕事もあり、ニューヨークには、そう長くは滞在出来なかった。淑子は日本に帰国し、イサムは、ニューヨークに留まることになり、二人は離ればなれになって別居生活が続いた。

お互いに尊敬し合い理解を深めた二人であったが、女優と美術家、互いにすべてを理解できる訳には行かない部分もあった。何か世界が違いすぎる。話していても何処かに擦れがある。しかし、イサムは、妻の淑子にだけはすべて理解してほしいとエゴな部分もあったに違いない。お互いに忙しいこともあり、二人の生活は自然消滅へと向かった。お互いの仕事の邪魔をしないという始めの約束通り、1956年、5年間の結婚生活に終止符を打つこととなった。

続く>>

*本稿は日墨協会 のニュースレター『Boletin Informativo de la Asociación México Japonesa』146号(2010年11月)からの転載です。

© 2010 Koji Hirose

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