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日本と母国の“架け橋”として、大きく羽ばたく日系ラティーナたち

90年代前半、“デカセギ”のため来日した日系南米人の子どもたちが、いま時を経て成長し、日本と母国を結ぶ“かけはし”として、活躍の幅を広げようとしている。

幼いころに来日し、戸惑いながらも自らの道を切り開いてきた高良カレンさんと柳瀬フラヴィア智恵美さん。頑張り屋の2人だが、彼女たちを励ましサポートしてくれた先生らに感謝の言葉を忘れない。彼女たちにこれまでの道のりと、今後の夢を聞いた。

――来日したのは何歳ですか?

柳瀬フラヴィア智恵美さん(左)と高良カレンさん

カレンさん:  ひと足先に、日本にデカセギに来ていた父母と姉を追って、10歳で来日しました。私の父母は、ペルーでレストランを経営していたのですが、政情不安のために経営が厳しくなり、それで仕方なく日本へデカセギに行くことにしたようです。

当時、姉は義務教育を終了していたのですが、私はまだ小学生だったので、「ペルーに残って勉強を続けたほうがいいだろう」という両親の判断で、祖母の元にひとりで預けられました。だから、毎日とっても淋しかった。それでどうしようもなくなって、父母に頼み込んで、一年後に呼び寄せてもらったんです。

フラヴィアさん:  うちは、私が3歳のときに父が単身で日本へデカセギに行きました。なぜ日本行きを決めたのか、その理由を父母に尋ねたことはありませんが、やはり経済的な理由だったと思います。母と私が来日したのは、父が日本へ渡ってから6年後のこと。やっと家族3人で暮らせるようになったのは嬉しかったけど、父親がいない生活に慣れていた私は、“父”という存在に慣れるまで少し時間がかかりましたね。

――日本の生活や日本語に慣れるまでは、大変だったのではないですか?

カレンさん:  来日当初、私は佐賀県の公立小学校に通っていたんです。田舎町だったせいか、学校には私ひとりしか外国人がいなかった。だから、先生もクラスメイトも珍しがって、すごく大切にしてくれました。(笑)先生は、国語や社会科の時間に日本語を教えてくれましたし、クラスメイトもいろいろ面倒を見てくれました。

ですから、いじめられたり、嫌な思いをしたりしたことは一度もなかったですね。本当に、周りの人に恵まれていたと思います。

フラヴィアさん:  私は9歳で来日してから、すぐに地域の日本語教室に通いました。そこには、たくさんの日系ブラジル人がいましたから、“リトル・ブラジル”みたいな雰囲気があって、楽しかったですね。父も母もほとんど日本語ができなかったので、私が早く日本語を覚えて、役所の手続きや病院を受診するときに、通訳をしなくてはならなかったんです。だから、必要に迫られて必死に日本語を覚えました。おかげで高校一年のときには、日本語能力検定1級を取得することができました。

カレンさん:  うちもそうです。学校から配布されるプリントを母に渡しても分かりませんから、私が訳して説明していました。自分の面倒は自分で見る、って感じでしたね。

フラヴィアさん:  やはり言葉のハンデは大きいですからね。高校生になるまでは、いくらがんばっても日本人のクラスメイトにはテストの点数で勝てなかった。だからずっと、「自分はダメなんだ」って、コンプレックスを抱いていました。でも唯一、英語の成績だけは人より良かったんです。すると担任の先生が、「フラヴィアさん、英語のスピーチコンテストに出てみない?」と勧めてくれて。思い切ってチャレンジしたら、県大会で優勝しちゃいました。それからは、周囲の反応が180度変わりました。今までは誰からも期待されていなかったのに、みんなが「フラヴィアすごいね!」って、声をかけてくれるようになったんです。自分を認めてもらえたことが嬉しくて、とても大きな自信になりました。

カレンさん:  私もフラヴィアさんと同じで、ずっとコンプレックスがありました。「外国人だから分からないんだ」って言われることが、とても嫌だったんです。だから、日本語は必死で学んでいましたが、やはり漢字をきちんと書けるようになるまでには時間がかかりました。そんなとき、親身になって教えてくれたのが、地域にある日本語教室の先生たちでした。当時17歳だった私は、大学の進学費用を稼ぐために工場のラインで働いていました。仕事が忙しくて日本語教室を休みがちになったとき、先生がわざわざ家まで訪ねてきてくれて、「あなたは日本とペルーの架け橋になる存在だから、勉強がんばって!」と、どんな状況でも勉強を続けるよう、励ましてくれたんです。そのおかげで、私も日本語能力検定1級を取得することができました。最後までサポートしてくれた先生たちには、いくら感謝してもしたりないくらいです。その恩返しとして、いまでは私もボランティアスタッフとして日本語を教えています。

――お父さんやお母さんが日本にデカセギに来たことについて、どう感じていましたか?

フラヴィアさん:  来日したときは9歳だったので、正直よく分かりませんでした。でも、ほとんど休みもとらず、朝から晩まで工場で働いている父母の姿を見ているのは、辛かったですね。とくに父は、仕事で大けがを負ったこともありますし、いつもストレスを溜めているように見えましたから……。ですから高校生になったとき、「私も工場で働かせて!」と、両親に頼んだんです。私が働けば、少しは家計が楽になるんじゃないか、と思ったんです。母は、「私たちのようになりたいの?!」と言って反対しましたが、しつこく頼み込んで、学校の合間をぬって働きました。でも、実際に仕事をしてみると、想像していた以上に辛かった。父母は、こんな仕事をずっと続けているのか、と思うと、なんとも言えない気持ちになりました。「もし、私が工場で働き続けることになったら、きっと父母は悲しむだろう」と、仕事をしながら思いました。ブラジルに住んでいる親戚たちは、みんな弁護士や会計士として活躍しているのに、「フラヴィアは日本に行ったせいでダメになった」と言われたくなかった。そのためには、私がしっかり勉強して、父母を安心させられる仕事に就かなくちゃ、と。大学進学を真剣に考え始めたのも、この出来事がキッカケのひとつだったと思います。

カレンさん:  フラヴィアさんの気持ちはよく分かります。私も17歳のころ、大学の学費を貯めるために工場のラインで働いていました。オーディオセットの組み立てをしていたのですが、朝8時から夜10時まで、ずっと立ちっぱなしで同じ作業の繰り返し。もう足はパンパンにむくんで、思考は停止してしまいました。来る日も来る日もそんな仕事を続けているうちに、体よりも心が先に折れてしまったんですね。「私はロボットじゃない!」という思いとともに涙があふれ出し、作業が続けられなくなったこともありました。でも考えてみれば、父母は来日してからずっと、もっと過酷な仕事を続けていたんですよね。そんなことを思うと、いまでもつい涙ぐんでしまいます……。すでに私の父母は60歳を過ぎているので、これらは楽をさせてあげたい。そのためには、姉と力を合わせて、今度は私たちががんばらなくっちゃ、と思っています。

――これからも、ずっと日本に住み続けようと思いますか?

フラヴィアさん:  いまのところは、まだ分かりません。ブラジルに戻るという可能性が完全になくなったわけではありませんが、母国を離れて何年も経っているので、実際にむこうで生活するとなると大変でしょうね。でも私のなかには、日本とブラジルだけじゃなく、その他の国に生活拠点を置くという選択肢もあります。たとえば、今年留学する予定のカナダは、2年間住むと永住権を取得できるんです。だから、そういう可能性もなくはないかな…と。

カレンさん:  私も決めているわけではありません。母や姉は、「いつかペルーに帰らなきゃ」と、よく話をしていますが、私は10歳から日本に住んでいるので、母や姉ほど「帰らなきゃ」という気持ちはないんです。でも、ペルーが母国であることに変わりはないので、“ペルー生まれの日本育ち”として、両国を行き来しながら生活できれば、と思いますね。

――将来の目標を教えてください。

フラヴィアさん:  私は、“日系ブラジル人”として日本で暮らしていますが、いつもピンチのときには、誰かが手を差し伸べてくれます。高校の先生や友人、そして奨学金を工面してくれたNPO団体の方々など、いろんな人たちに助けられてここまできました。ですから私も、将来は国際機関などに勤めて、移民やマイノリティでも住みやすい多様な社会をつくっていきたいですね。

カレンさん:  現在私は、静岡県内のハローワークで通訳をしています。こうした仕事をすることで、「架け橋になって」と応援してくれた先生たちの思いに、少しは報いることができたのかな、と嬉しく思っています。今後は、母国ペルーと日本を結んで、事業を起こすつもりです。ペルーには、貧困のために学校に通えない子どもたちが、まだまだたくさんいますから、雇用を生みだすことで、少しでも子どもたちの未来に灯りをともしてあげたいですね。

≪プロフィール≫
高良カレンさん
日系ペルー人3世/27歳/リマ出身/ハローワーク勤務
1995年に10歳で来日。日本の公立学校に通いながら、日本語や一般教養を身につける。17歳でペルーに戻って大学進学。その後再び来日し、現在は静岡県内のハローワークで通訳を務めながら、日本とペルーを結ぶ起業の準備を始めている。

柳瀬フラヴィア智恵美さん
日系ブラジル3世/22歳/リオ・デ・ジャネイロ出身/国際基督教大学4年生
1997年に9歳で来日。公立学校に通いながら、日本語や一般教養を身につける。
現在は、国際基督教大学にて移民問題を研究しながら、カナダへの留学に向けて準備を進めている。

*本稿は『多文化情報誌イミグランツ』 Vol 3より許可を持って転載しています。

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