Descubra Nikkei

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日系史における「勇者」 -日系アメリカ人兵士の活躍をふりかえる- その1

はじめに 退役軍人との出会い

JAリビングレガシーのスタッフになって1ケ月経ち、さらにオーラル・ヒストリーを使ってオレンジ郡の日系社会の研究に取り組み始めてから1年ほど経った時のことです。その頃の私は、日系史に魅力を感じ、研究活動においては順風満帆な日々を過ごしていました。もちろん、現在も横浜で順風満帆な生活を送っています。

JAリビングレガシーの一員となった私は、初めて、従軍経験のある日系人のリユニオン、日本で言うところの同窓会に参加しました。リトル東京のホテルニューオータニで行われたこの盛大なイベントには、第二次世界大戦から湾岸戦争が終結するまでのあいだに従軍した多くの日系人らが参加していました。このとき、私は生まれて初めて従軍を経験した日系人の皆様に会いました。

イベントに参加した人々には、アメリカ陸軍から表彰を受けたワシントン州在住のロイ・ヒロシ・マツモト氏もいました。マツモト氏は、第二次大戦中はMISと呼ばれた諜報活動をする部隊に所属し、東南アジア戦線で活躍した方です。

日系人の従軍の歴史は、第二次世界大戦の退役軍人らのオーラル・ヒストリーが多く残されていることから、日系史の中でもよく知られているもののひとつです。しかしながら、まだまだ一般に知られていない話もたくさんあります。日系人で構成された第522部隊が絶滅収容施設にいたユダヤ人を解放したことは最近になって知られるようになりました。また、朝鮮戦争やベトナム戦争に従軍した日系人のオーラル・ヒストリーは前者ほど残されていません。

私の所属するJAリビングレガシーの活動のひとつは、オーラル・ヒストリーの対象になることがなかった日系人の歴史に耳を傾けることです。中でも、最高執行責任者を務めるスーザン・上村さんが、朝鮮戦争に従軍した日系人のインタビューを実践してきたことは、特筆すべきことだと思います。

前置きは長くなりましたが、幸運にも、私はJAリビングレガシーの活動を通じて、多くの知られざる日系退役軍人の体験談を聞く機会がもてました。そこで、今日は日系アメリカ人の従軍について触れてみたいと思います。

日系人部隊 -第442部隊-

第442部隊は、アメリカにおける軍事史においては、最も勇敢で、最も強い部隊として知られています。その輝かしい功績は、全米日系人博物館の展示でも紹介されていますし、彼らの体験談はオーラルヒストリーとしてたくさん残されています。さらには、彼らを題材にしたドキュメンタリー映画もつくられています。ひとつ例を挙げると、第442部隊に所属し、欧州戦線で悲劇の最期を遂げたテッド・タノウエ氏のドキュメンタリー映画「米国市民のタノウエ氏」(Citizen Tanouye)という作品があります。

第442部隊の創設は、全米日系市民協会(JACL)の日系人の正義を守ろうとする思惑が反映されたものでした。多くの日系人が全米各地の収容施設に送られた1942年に、全米日系市民協会(JACL)の代表がユタ州のソルトレイクシティで緊急の会合を開き、日系人はアメリカの国益を第一に考えていることを明確にするための対策が話し合われました。その結果、日系人部隊の創設を陸軍に働きかけることが決定しました。ひとりでも多くの日系人が、アメリカの戦勝のために命を懸けていることをアピールすることで、強制収容という難局を乗り越えようと画策したのです。JACLの提案に対して、アメリカ政府は日系人の入隊を許可しました。

日系人の入隊が許可されるようになると、収容問題のなかったハワイでは多くの日系人が志願をしました。一方、強制収容のあったアメリカ本土では、前者に比べるとごく限られた数の日系人が陸軍に志願しました。強制収容のためにアメリカ政府に対する不信感が強かったこと、またアメリカ国民としての自由や正義が奪われているのだから従軍を拒否すべきという風潮が日系人のあいだで広まっていたためでした。

日系人部隊が創設された当初、ハワイの日系人と西海岸の日系人のあいだには、目に見えない「壁」がありました。それは、ハワイの日系人が西海岸の日系人のことをあまり知らなかったからでした。ハワイの日系人は、従軍を肯定的に受けとめる風潮がありましたが、西海岸の日系人の多くは、非常に複雑な思いを持ったまま陸軍に志願したのです。日本の国籍を持った両親や反米感情を強く持っていた周囲の人々の反対を強く押し切って入隊にこぎつけた人々や、周囲の他の日系人たちの目を逃れるようにして真夜中に陸軍の基地に向かう人々がいました。日系人どうしにあった見えない壁を取り払うために、陸軍はハワイからきた若者たちを収容施設に連れて行きました。ハワイの日系人にとって、収容という現実は非常にショックなことでした。友人や親戚、同胞の人々がアメリカ社会にとって重要な自由と正義を奪われていた現実を彼らが目の当たりにしたのです。この一件は、ハワイの日系人が西海岸で活きる日系人の状況を理解する良い機会になっただけではなく、日系人部隊に所属する日系人全体の集団意識が高まるきっかけになりました。

その2>>

© 2010 Takamichi Go

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About the Author

Na Orange Coast University, na California State University Fullerton e na Yokohama City University, ele estudou a história da sociedade americana e da sociedade asiático-oceânica americana, incluindo a história da sociedade nipo-americana. Atualmente, embora afiliado a diversas sociedades acadêmicas, ele continua a pesquisar de forma independente a história da comunidade Nikkei, especialmente para “conectar” a comunidade Nikkei e a sociedade japonesa. Além disso, a partir da posição única do povo japonês com ligações a países estrangeiros, estou a expressar activamente as minhas opiniões sobre a coexistência multicultural na sociedade japonesa, ao mesmo tempo que soo o alarme sobre as tendências introspectivas e até xenófobas na actual sociedade japonesa.

(Atualizado em dezembro de 2016)

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