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望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その6/8

その5>>

かつて日系人の文学は短詩形文学中心であったことから、この『ポストン文藝』の中の短詩形文学作品の数はたいへん多い。

詩の分野では第一に外川明の名をあげることができる。彼は1903年、山梨県南都留郡に生まれた。父は妻と3歳の明をおいてアメリカへ渡り、16年間帰国しなかった。村の尋常小学校を卒業後、彼は養蚕、農業、道路修理の労働者、富士登山の強力(ごうりき)、行商人などあらゆる仕事をして母を助け、父の帰りを待った。1922年に父が帰国したとき、彼はすでに19歳の若者になっていた。翌年父とともに渡米、夜学に通いながら働いて1929年に帰米二世の女性と結婚した。彼は戦前から詩を書き、日系社会で詩人として知られるようになった。彼は1932年に東京で私家版の詩集を出版、日系文学のアンソロジー『アメリカ文学集』(山崎一心編、警眼社、1937年)にも9編の詩を載せている。『ポストン文藝』では青木伸のペンネームも使って合計20編以上の詩と数編の随筆を書き、詩の選者もつとめた。

外川の詩は分かりやすい平易なことばで収容所の日常をうたっている。彼の詩や随筆を一貫して流れているのは人間を愛する心と望郷の想いである。殺伐とした収容所の中に咲く花に心をとめ(「くぐり戸」43年5月号)、仲睦まじく浪曲を聴きながら日本へ思いを馳せる老夫婦を見つめ(「静寂なる睦しさ」44年11月号)、大喜びで西瓜を食べる子供たちを優しく見守ってともに喜び(「西瓜」45年9月号)、松の実を噛んでそのすがすがしい香りに幼い頃と祖母を想い(「松の実を噛みながら」45年2月号)、青葉の梢を見て戦争の終結を祈る(「梢の祈り」45年5月号)。随筆の中でも、どんな境遇に置かれても平常心を失わずに(「抄出 心境日記」43年7月号)、美しい心を持ち続けたい(「美しい心」44年11月号)と書いている。

随筆から外川は仏教を信じ、つねに心を磨くように心がけていることが分かるが、若いときに2度も大病をして死を覚悟したことが原因で、「詩」と「祈り」がなければ生きられない人間になったと著書の中でも述べている(「蜜蜂のうた」431ページ)。外川はつねにものごとを善意に解釈するすばらしい人であったと重富初枝は回想している(『ポストン物語』54ページ)。

片井渓巌子(正夫)も外川とともに前出の『アメリカ文学集』に詩「旅情点描」を書いた長野県出身の一世で、1883年ごろの生まれと推定される。彼は詩「生活断章」を44年7月号から終刊号まで9回連載している。彼の詩は自然を題材として独特の雰囲気をもっている。9篇のすべてが収容所生活をうたったものではなく、収容前のものも含まれている。彼は戦前から自由律俳句の結社「アゴスト社」の同人で、『ポストン文藝』にも多くの自由律俳句の作品がある。片井は戦後日本へ帰り1959年に没した。

マツイ・シュウスイ(松井秋水)は一世で戦前にロサンジェルスで業界紙の編集をしていたが、サンタ・アニタ仮収容所を経てポストンへ送られた。彼はソルト・レイク・シティで戦争中も発行されていた日本語新聞『ユタ日報』文芸欄に投稿してさかんに「うまや文学」を創造しようと呼びかけていた。サンタアニタが競馬場であったため「うまや」と名づけたのである。マツイの作品は9篇の詩と自由律俳句である。

牧さゆり(板谷幸子)は詩と短歌をトゥ-リレイクから投稿した。彼女は帰米二世で、トゥーリレイクでは谷ユリ子のペンネームで『鉄柵』に1篇の創作を載せている。日本の敗戦を知ってから書かれた「影」、「たそがれ」(45年9月号)からは、太平洋を隔ててはるか日本にいる肉親や友人を案じるのみでなすすべのない日系人の心の煩悶が伝わってくる。

三田平八は戦前の文芸誌『收穫』第2号から編集の中心となった呼び寄せ一世、俳優の上山草人・浦路の子である。彼は結核を患い42年5月以来入院生活を送り、収容所へ行かなかった。「療養院にて」(45年5月号)は病院からの投稿で、俳優の子としてロサンジェルスで華やかに暮していた平八が、親しい人びとや最愛の娘と離れ、死の恐怖におびえつつひとり病院のベッドに横たわって書いたものである。恐ろしいまでの寂莫感がひしひしと迫る詩である。(『收穫』解題参照)。

樋江井良二(河合一夫)は帰米二世で、唯一の二世の友人が外部へ出るのを見送る別れの詩「トキ」(43年7月号)を載せているが、彼は不忠誠を選択してトゥーリレイクへ行った。トゥーリレイクでは『鉄柵』同人として編集と創作に活躍した。(『鉄柵』解題参照)。

短歌では、一世の永瀬勇が毎号「選後随録」を記して作歌の指導をした。永瀬自身もアメリカで短歌を詠みはじめ、日本の短歌誌に投稿して学んだ経験をもつ。川柳は初期には一世の矢形渓山が担当していたが、彼の外部再転住にともない同じ一世の島原潮風が毎号の添削講座および「古川柳句解」を設けて指導すると同時に、送られてくるたくさんの川柳を選んで掲載した。俳句は初期に安高きち、その後和気湖月が選者となった。いずれも一世である。

ほかに自由律俳句も盛んで、多くの人が作品を載せている。マンザナー収容所では、帰米二世の橋本京詩(橋本清)らによって文芸誌『山麓』が発行されたが、主要メンバーがトゥーリレイクに移動したため3号で廃刊になった。そこで発表の場がなくなったマンザナー吟社がいく度か寄稿している。これらの俳句や短歌の中には自然の風物をうたった作品が多いが、強制収容という苛酷な生活を強いられた人びとの真実の気持ちが吐露された作品もあり、文学であると同時に歴史を裏付ける記録としても貴重である。

その7>>

* 篠田左多江・山本岩夫共編著 『日系アメリカ文学雑誌研究ー日本語雑誌を中心にー』 (不二出版、1998年)からの転載。

© 1998 Fuji Shippan

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About this series

Many Japanese-language magazines for Japanese Americans were lost during the chaotic times of war and the postwar period, and were discarded because their successors could not understand Japanese. In this column, we will introduce annotations of magazines included in the collection of Japanese-American literary magazines, such as "Shukaku," a magazine that was called a phantom magazine because only the name was known and the actual magazine could not be found, as well as internment camp magazines that were missing from American records because they were Japanese-language magazines, and literary magazines that were also included by postwar immigrants.

All of these valuable literary magazines are not stored in libraries or elsewhere, but were borrowed from private collections and were completed with the cooperation of many Japanese-American writers.

*Reprinted from Shinoda Satae and Yamamoto Iwao, Studies on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines (Fuji Publishing, 1998).

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About the Author

Professor at the Faculty of Humanities, Tokyo Kasei University. Graduated from the Graduate School of Japan Women's University. Specializes in Japanese-American history and literature. Major works: Co-edited and authored "Collection of Japanese American Literary Magazines," co-authored "Japanese Culture in North and South America" ​​(Jinbun Shoin, 2007), co-translated "Japanese-Americans and Globalization" (Jinbun Shoin, 2006), co-translated "Yuri Kochiyama Memoirs" (Sairyusha, 2010), and others.

(Updated February 2011)

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