ラ・コルメナ移住地 歴史写真館
Licensing |
パラグアイへの集団移住は、1936年ラ・コルメナ移住地への入植から始まりました。2006年に70年を迎えたパラグアイ移住の礎を築いた、ラ・コルメナ移住地の歴史の一部を写真でご紹介します。
Slides in this album |
|
神戸港にて移住者を見送る人々当時の移住者のほとんどが南米パラグアイで一旗揚げて、錦衣を着て故郷に帰ることを夢見て出発した。(1936年~1938年頃) |
アスンシオン税関手荷物検査所長旅の疲れを癒す間もなく、移住者の持ち込んだ荷物の検査が行われた。(1936年~1938年頃) |
アスンシオンの移住者収容所この建物はパラグアイ拓殖組合事務所が借りていたもので、船でアスンシオンに到着した移住者は、この収容所に1泊した。 |
イビチミ駅からラ・コルメナまでアスンシオンからは汽車でイビチミまで向かう。イビチミからは馬や牛車に乗り、道もなくただ広いところをひたすらラ・コルメナに向かって進む。このような風景を見て不安になる人がどれほど多かったことか。(1936年~1938年頃) |
入植祭のようすラ・コルメナ移住地市街地区中心に木製の入植記念碑を作り、その入植を祝った。(1937年~1938年頃)
入植祭のようす |
測量のようすパラグアイ拓殖組合職員による測量風景。パラグアイ人職員を雇用し、作業を手伝わせていた。(1936年~1938年頃) |
煉瓦の土練り作業牛を使った煉瓦の土練り作業の様子。煉瓦工場が出来るまでは、このように牛に土を練らせた後、煉瓦の形にした。(1936年頃)
煉瓦の土練り作業 |
手製の井戸ラ・コルメナは水源が乏しく、5mから17mほど井戸を掘った。(1936年~1938年頃)
手製の井戸 |
棉の間引き作業原始林を伐採し、山焼きの後、燃え残った丸太の間をぬって棉を植えた。(1936年~1938年頃)
棉の間引き作業 |
演芸会のようす娯楽の少なかった当時は、演芸会が盛んに催され、各地区ごとの芸達者たちが集まり、金色夜叉などの時代劇を披露した。(1936年~1938年頃)
演芸会のようす |
相撲大会のようすラ・コルメナ移住地市街地区中心に土俵を作り、相撲大会を行った。栄養不良で痩せた子供たちだが、一生懸命に相撲をとった。(1936年~1938年頃)
相撲大会のようす |
バッタの襲来1946年のバッタの襲来。その着陸面積は幅4キロ、長さ35キロという広大なものであった。飛来したバッタによって農作物は全て食い尽くされ、自分たちの食べるものさえこと欠くような甚大な被害を受けた。
バッタの襲来 |
ラ・コルメナワイン『コルメニータ』の生産1951年からラ・コルメナ農業協同組合でワインの生産が始まった。写真は醸造樽の中のワインをかき混ぜているところ。この樽は日本人大工の後藤氏によって作られた。(1972年) |
馬車での移動戦前のラ・コルメナ地区では、馬と馬車は大切な交通手段でした。 |
橋の無い川を渡るラ・コルメナ地区から陸路で首都アスンシオンなどへ移動するには、1965年の道路整備(約30Km)まで橋の無い川で苦労するだけでなく、1965年以降も雨が降れば交通は遮断されていました。舗装が完成し、雨天通行が可能になるのは1982年以降でした。 |
移住当初の生活風景移住地に設けられた収容所も後続移住者の到着のため、直ぐに出ることが必要でした。移住者は原始林を倒したばかりのところにテントを張り仮のすまいとし、応急に作った食卓で、野外の食事をすることが普通でした。 |
原始林開拓の様子移住者は自分が購入した場所確認のため、原始林の奥深く、仮の道を分け入りました。それが厳しい原始林開拓の始まりです。 |
トマトやメロンの箱詰め風景イグアス地区はアスンシオンへの国道が移住地の中を走り、交通の便に恵まれ、機械化農業が導入されるまでは、手軽な野菜作りが盛んでした。トマトやメロンは大切な作物で、箱詰めは家族総出で行われました。 |
婦人の数少ない息抜きの場日ごろは、家事・育児から営農まで、目の回るように忙しい主婦にとり、幼児をつれての持ち寄り新年会は、数少ない憩いの場でした。 |
望みをかけたコーヒー栽培コーヒー園雇用農から出発したアマンバイ地区は、コーヒー栽培に大きな夢をかけました。しかし、度重なる霜の害により、営農は破綻し、町に出ての小さな商売や製材業、また新しい作物や養鶏に望みを託しました。 |
手作業の脱穀風景原始林を開いたあとにはトウモロコシは良く育ちました。当初の大豆は、播種、除草、収穫、乾燥、脱穀まで多くは手作業でした。移住者手作りの脱穀機が何種類も現れたのもこの時期です。この大豆作が、やがて移住地経済と、国の経済を変えて行きます。 |
大型コンバインでの収穫風景手作業に頼った収穫も大型コンバインに変わり、営農の大規模化が始まります。 |
見渡す限りの穀倉地帯原始林に覆われていた移住地も、舗装された幹線道路が通り、見渡す限りの穀倉地帯に変貌しました。 |
不耕起栽培風景畑を耕起・整地せず、収穫あとに大豆・小麦を直接播種する不耕起栽培は農作業を簡略化し、土壌流失を防ぎ、経営の大規模化を一気に進めました。 |
未来を担う子供たちいつの時代にも子供たちは社会の未来を担っています。日系社会の少子化により、数が少ないのがさみしいところです、、 |
高齢化が進む日系社会70年の歴史を迎えたラ・コルメナ地区では高齢化が進み、高齢者の定期健診をするのは日系3世のボランティアです。 |
学習発表会日本文化の継承は、子供にも大人にも楽しみです。参加する子供達にも、片親だけが日系、両親とも非日系が増えてきました。 |
在日パラグアイ協会栃木県佐野市に集まった、「在日パラグアイ協会」の方々。 |
盆踊り今では、地域社会の楽しみになっている恒例の盆踊り、アスンシオンの人造りセンターにて、、、 |