ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/series/voices-of-the-volunteers/

ボランティアの声:全米日系人博物館を支える人々


2015年11月2日 - 2016年6月27日

このシリーズでは、ニットータイヤからの資金提供を受け『羅府新報』が出版した冊子「ボランティアの声:全米日系人博物館を支える人々 (Voices of the Volunteers: The Building Blocks of the Japanese American National Museum)」から、全米日系人博物館ボランティアの体験談をご紹介します。

数年前、ニット―タイヤはロサンゼルスの邦字新聞『日刊サン』と共同で全米日系人博物館(JANM)のボランティアをインタビューしました。2014年末、これらのインタビューを小冊子にまとめるべく、ニットータイヤから私たち『羅府新報』に声がかかり、私たちは喜んで引き受けることにしました。JANMインターン経験者の私は、ボランティアの重要性や彼らがいかに献身的に活動しているか、そしてその存在がどれほど日系人の歴史に人間性を与えているか、実感していました。

冊子の編集にあたり、私は体験談ひとつひとつを何度も読み返しました。それは夢に出てくるほどでした。彼らの体験談に夢中になるのは私だけではありません。読んだ人は皆彼らの体験にひきこまれ、その魅力に取りつかれました。これが体験者本人の生の声を聞く醍醐味です。JANMのガイドツアーに参加する来館者が、ボランティアガイドに一気に親近感を抱く感覚と似ています。ボランティアへの親近感がJANMの常設展『コモン・グラウンド』を生き生きとさせるのです。30年間、ボランティアが存在することで日系史は顔の見える歴史であり続けました。その間ボランティアはずっとコミュニティの物語を支えてきました。次は私たちが彼らの物語を支える番です。

以下の皆様の協力を得て、ミア・ナカジ・モニエが編集しました。ご協力いただいた皆様には、ここに厚く御礼申し上げます。(編集者 - クリス・コマイ;日本語編者 - マキ・ヒラノ、タカシ・イシハラ、大西良子;ボランティアリエゾン - リチャード・ムラカミ;インタビュー - 金丸智美 [日刊サン]、アリス・ハマ [日刊サン]、ミア・ナカジ・モニエ)

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このシリーズのストーリー

ケネス・“ケン”・ハマムラさん

2016年3月28日 • 羅府新報

ハマムラさんは、長年に渡り全米日系人博物館(以下博物館)で幅広い役割を担い、活躍してきた。博物館への寄付者、スタッフ、そしてボランティアとして活動する中で、ハマムラさんは、日系人の物語や遺品を保存・共有し、次の世代へつないでいくことの大切さを認識するようになった。 ハマムラさんは博物館の使命に共感し、自身の家族史を見つめ直し、娘や孫たちに継承していきたいと考えている。帰米二世の両親を持つ日系三世のハマムラさんは既に退職し、家族史に関わるアーカイブ資料を掘り下げ、写真を…

メリー・カラツさん

2016年3月14日 • 羅府新報

「1993年に大規模な非営利団体の会長補佐を引退した後、私はボランティアとして第二の人生を歩み始めました」とメリー・カラツさんは言う。決断力と人間的な魅力を兼ね備える彼女は何年もの間、全米日系人博物館のような地域密着型の組織の間で大立者であった。 彼女は初め、お世話になり、他人に奉仕するとはどういうことかを教えてくれたある白人女性からインスピレーションを得た。「彼女の存在は私の人生に大きな影響を与えました」とメリーさんは言う。「私は子供のころ、彼女のようになりたいと思…

ロバート・“ボブ”・ウラガミさん

2016年2月22日 • 羅府新報

「博物館は自分には縁のない場所だった」というボブ・ウラガミさん。彼が、全米日系人博物館と初めて出会ったのは、開館記念展「Issei Pioneers: Hawai`i and the Mainland, 1885-1924(一世の開拓者たちーハワイとアメリカ本土における日本人移民の歴史1885-1924ー)』」の準備のため、1991年に展示品の依頼を受けたときだった。 長年、母が保管していた1916年付の日本語の手紙を提出し、翻訳してもらった。それは結婚前、父が母にあてた…

田島喜八郎さん

2016年2月8日 • 羅府新報

田島喜八郎さんの父キミオさんは、アメリカ生まれの二世だが、28歳で日本兵としてニューギニアで戦死した。父が召集されたとき生後10カ月だった喜八郎さんは父の顔も覚えていないが、喜八郎さんは戦争遺児といわれて育った。 小学生の頃に「なぜ僕は戦争遺児なの?」と母に聞いた。母は「お父さんは日本兵として戦死したけど、アメリカで生まれ育ったのよ」と話した。会ったことのない父を慕う気持ちが芽生え、そのころからアメリカへ行きたいと思い始めたという。 喜八…

ネーハン・グラックさん

2016年1月25日 • 羅府新報

ボランティアのガイドとして、ネーハンさんはプライド、思いやり、そして信念をもってツアーを先導している。ツアーをする彼を見て、多くの人が驚き、ひょっとしたら少し目新しく感じるのは、彼のルーツが日本に全くないからだ。 ニューヨークで生まれたネーハンさんは、6歳の時にカリフォルニアへ移った。1950年代の一つの偶然の出会いが、彼が想像し得なかった形で彼の人生を変えることになる。日系二世のカズト・ヒラタさんと出会ったのだ。この出会いが、彼が日系アメリカ人の歴史に興味を持つきっ…

馬上 直

2016年1月11日 • 羅府新報

東京生まれの直さんは、1970年代、カリフォルニアの州立大学に在学中、日系人の友人が日本語を話さないことに気がついた。同じ東洋人でも、中国系、韓国系の学生は親が話す母国の言葉をそれぞれが話すのに、日系人だけなぜ話さないのだろうと不思議だった。そんなとき、日系人が強制収容所に入る体験を描いたテレビ映画「Farewell to Manzanar(マンザナールよ、さらば)」 をアジア系アメリカ人研究の授業で見て、初めてその理由がわかったような気がした。 それから30年以上たった…

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このシリーズの執筆者

『羅府新報』は日系アメリカ人コミュニティ最大手の新聞です。1903年の創刊以来、本紙はロサンゼルスおよびその他の地域の日系に関わるニュースを日英両言語で分析し、報道してきました。『羅府新報』の購読、配達申し込み、オンラインニュースの登録についてはウェブサイトをご覧ください。

(2015年9月 更新)