ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/series/voices-of-chicago/

シカゴの声


2005年9月1日 - 2012年8月1日

このシリーズに掲載されているストーリーは、もともとシカゴ日系人歴史協会のオンラインジャーナル、「シカゴの声」に掲載されたものです。シカゴ日系人歴史協会は、2004年12月からディスカバー・ニッケイに参加しています。

シカゴの声は、シカゴに住む日系人の体験を綴った私語りのコレクションです。シカゴの日系コミュニティは、第3波までの移民およびその子孫で構成されています。最初の波は、1899年のシカゴ万国博覧会の頃に到着した約300人でした。第2波のグループは最多の3万人から成り、第二次大戦後、強制収容所から直接シカゴに移住して来ました。彼らは「最定住者」と呼ばれ、社会奉仕団体や仏教またはキリスト教会、中小企業周辺でコミュニティを形成していきました。第3波はさらに近年となり、1980年代前半に到着した日本人のグループです。彼らは芸術家や学生で、その後、シカゴに留まりました。4番目のグループは移民ではありませんが、企業幹部の日本人とその家族で、シカゴに長期滞在し、場合により永住しています。

シカゴは、いつの時代も人々が安らぎを得られる場所であり、民族的に多様な人々が共に住み、働く町でした。「シカゴの声」は、先述の4グループそれぞれのメンバーのストーリーと、彼らがどのようにこのモザイク(寄せ集め)都市に適応していったかを伝えています。

シカゴ日系人歴史協会のウェブサイトはこちら>>



このシリーズのストーリー

Manzanar: A Son's Journey - Part 1

2012年7月18日 • キース・ウチマ

Please understand…I didn’t want to go to see Manzanar. I NEEDED to go there. Over the years, whenever I had vacation days available, I would always think of visiting Manzanar, one of the ten concentration camps in the U.S. where nearly 120,000 people, mostly Americans of Japanese descent were racially profiled and imprisoned in 1942, but somehow, it just didn’t seem like a nice getaway from the stresses of everyday Chicago living. I’m pretty certain most descendants of ex-internees feel …

Welcome to the Writers Workshop

2011年12月14日 • エリック・マツナガ

The Undeniables writers workshop was formed in 1999, inspired by a chapter from the novel VALLEY (Bend Press, 1998), by Mike Daily. Edren Sumagaysay and I had met the previous year in a touring theatre troupe based in Los Angeles, and got to talking about a mutual passion for writing while holed up between shows in a Maryland motel. We had both recently read Mike Daily’s then newly released novel, and wanted to host a writers workshop of our own. …

How Marrow Unites a Community: Chris Ishida’s Search & Discovery

2011年3月8日 • クリス・イシダ

For a majority of my life I have felt a little left out of the Japanese American community. This is despite the fact that my family incorporated both my mother’s American/Italian traditions and my father’s Japanese traditions. My dad was born and raised in Japan and moved to Chicago as a young man in 1971. As a child, I watched Japanese tapes of An Pan Man, called grapes “budou” and even attended a Japanese Buddhist temple in downtown Chicago. However, …

Do You Know Kung Fu? - Part 2

2011年1月12日 • ラリー・ワイリー

>> Part 1The summer after 4th grade, 1971, it was somehow decided that my older sister, my younger brother and I would become members of the local YMCA. We all took up swimming and judo. I really wanted to do Karate (in those days I don’t think there was any other martial art besides Judo and Karate) but those classes did not start until 8:00 pm. My grandfather dutifully walked us to and from the “Y”. I was not a …

Do You Know Kung Fu? - Part 1

2011年1月11日 • ラリー・ワイリー

I was born August 19th, 1961 at the University of Chicago Lying-in Hospital, on the south side of Chicago. My father, Joseph Earl Wiley, hails from a prominent family in Pine Bluff, Arkansas. His father, Joseph Elias, graduated from Tuskegee Institute, class of 1914, and served with distinction as an officer in the 92nd Infantry in WW I. My mother, Frances Sumiko Yoshida was interned with her family in Poston, AZ in WWII. She grew up in Lindsey California the …

My Life Between Two Cultures - Part 2

2010年11月8日 • キョウコ・イノウエ

>> Part 14. The Inoue Family Meets Their American RelativesIn 1942, my relatives, like all the West Coast Japanese and Japanese Americans, were shipped to a concentration camp. They were initially sent to Tanforan Race Track in California, and then, I believe, to Tule Lake. I know nothing about their lives in the camp because I do not recall my mother ever speaking about them. In 1946, my younger uncle was drafted into the United States Army and was sent …

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このシリーズの執筆者

シカゴ日系アメリカ人歴史協会は、1990 年代初頭に設立された草の根組織です。私たちの使命は、シカゴ地域の日系アメリカ人の歴史を保存、促進、紹介することです。私たちはシカゴの歴史と遺産を記録し、日系アメリカ人と日本人の経験と文化について一般の人々を教育し、日系アメリカ人の歴史の側面を特集した教材や博物館の展示を開発してきました。

http://www.cjahs.org/

2010年4月更新


シカゴ日系アメリカ人歴史協会理事。

2005年6月更新


藤田豊は東京で生まれ、シカゴ地区でデザインを学びました。彼は妻のステイシーとともにシカゴで働き続けています。二人は一緒にカスタムメイドの服、映画の衣装、広告デザインを制作し、彼は愛らしい動物の絵を描き続けています。

2009年6月更新


舩井勝氏は当事務所の設立者の一人です。舩井氏は、米国市場に進出する日本企業に対し、子会社の設立、既存の米国事業組織の買収、米国企業との合弁事業の設立、販売代理店およびその他の販売ネットワークの設立など、事業開始のあらゆる段階でのアドバイスを専門としています。舩井氏は、自動車部品、工作機械、自動車産業に関連する製品およびサービスの製造、販売、流通に関する米国、日本、フィリピン、および欧州でのさまざまな合弁事業の設立に携わってきました。舩井氏は現在、多数の非公開企業の顧問または取締役を務めています。

舩井氏は、400 社を超える日本企業で構成されるシカゴ日本商工会議所の法律顧問です。また、シカゴ日本総領事館の法律顧問も務めています。2001 年、舩井氏は日本国より勲四等瑞宝章を受章しました。

2009年12月更新


ジーン・イケゾエ・ハレヴィはシカゴ地域のジャーナリストです。彼女は1981年から1994年まで、地元の独立系テレビ局WGBO-TVで記者、プロデューサー、アンカーを務めた最初の日系アメリカ人でした。また、WCPX-TVで公共問題番組の司会も務めました。ノースウェスタン大学メディルジャーナリズムスクールを卒業し、郊外に家族と住んでいます。

2009 年 9 月に更新されました。


井上京子氏はイリノイ大学シカゴ校の名誉教授です。過去 20 年間の研究対象は、近代日本の思想史とアメリカと日本の比較文化です。著書に、Choice 誌で優れた学術書に選ばれた『マッカーサーの日本国憲法: その制定に関する言語的、文化的研究』 (1991 年) や『近代日本思想における個人の尊厳: 道徳と教育の言説における人格概念の進化』(2001 年) があります。井上氏は、英語の統語論と意味論に焦点を当てた理論言語学と、アメリカと日本の文化と歴史の比較研究という 2 つの異なる分野のコースを教えています。現在は、近代日本と日系アメリカ文学に焦点を当てた比較文化と文学のコースを開発中です。

井上京子の出版物に関する詳細情報: http://www.uic.edu/depts/engl/people/prof/kinoue/bio.html

2010年10月更新


クリス・イシダは、カリフォルニア州クレアモントのピッツァー大学に在籍する 19 歳の新入生です。2011 年 1 月に重度の再生不良性貧血と診断されたため、現在は休学中です。イリノイ州グレンビュー出身のクリスは、自分の骨髄に適合するドナーを探しています。クリスは、骨髄が機能し次第、大学に戻るつもりです。

2011年3月2日更新


ニューヨークタイムズのジャック・アンダーソンに「見ていて心を奪われる」と評された加藤綾子は、横浜出身で現在はシカゴ在住のダンサー、振付師です。1998年にコントラバス奏者のジェイソン・ローブケとともにアート・ユニオン・ヒューマンスケープ(AUH)を設立。米国、日本、ヨーロッパで幅広く公演。作品は、ダンスシアターワークショップ(ニューヨーク)、ジョイスソーホー(ニューヨーク)、ディ・プラッツェ・ダンスフェスティバル(東京)、ストラスブール近代現代美術館(フランス)、ジ・アザー・ダンスフェスティバル(シカゴ)など、さまざまなフェスティバルや会場で発表されています。2007年、加藤はシカゴ・ダンスメーカーズ・フォーラム・ラボ・アーティスト賞2007を受賞し、AUHとしてエクスペリメンタル・サウンド・スタジオとリンクス・ホールからジョシュ・バーマン(コルネット)とともにクロスカット・サウンド&ムーブメント助成金を受賞。また、リチャード・H・ドリーハウス財団と国際交流基金からも作品の支援を受けています。 2009年、映像作家の菅野正弘氏とコラボレーションしたビデオ作品「Maria's List」がWTTW Image Unionで特集され、シカゴ・リーダーズ・フォール・アーツ・プレビューのダンス部門「注目の人物」に選出される。日本でクラシックバレエを学んだ後、1​​996年よりアメリカでモダンダンスのトレーニングを開始し、1998年にミシガン大学でダンスの修士号を取得。太極拳、能楽、舞踏も独学で習得。実験的なダンスで、あるがままに風流の空間を展開することを目指す。
綾子のウェブサイトをご覧ください: Art Union Humanscape www.artunionhumanscape.net

2010年4月更新


加藤勝はエネルギーヒーラーであり、スピリチュアルティーチャーでもあり、年間を通じて変容ワークショップを開催しています。連絡先は info@atmanwellbeing.com です。このメールアドレスはスパムボットから保護されています。閲覧するには JavaScript を有効にする必要があります。彼の Web サイトをご覧ください: http://www.atmanwellbeing.com/

2010年1月更新


日系三世のナタリー・ウメ・リベラントさんは、イリノイ大学で文化人類学を専攻し、2007年、文学士を取得し卒業しました。リベラントさんは現在、大学付属の非営利団体、「Public Service Archaeology and Architecture Program」で実地調査員兼ラボテクニシャンとして働いています。リベラントさんは8歳で柔道を始め、今では初段の腕前です。リベラントさんは、母親と妹と共にイリノイ州シャンバーグ市に暮らしています。`

(2008年7月 更新)


アレック・ヨシオ・マクドナルドは、かつてシカゴに住んでいましたが、現在はカリフォルニア州オークランドに住む作家兼編集者です。彼の作品は、日米タイムズハイフン・マガジン、日経ヘリテージ、パシフィック・シチズン、IMDiversity.com、シカゴ新報に掲載されています。

2006年2月更新


広島県出身の被爆者。日系アメリカ人二世と見合い結婚をし、1962年にアメリカ、シカゴへ移住、二人の子供をもうけた。現在は、そよ風コーラスグループ、シカゴ広島県人会といったグループに所属している。彼女の作る蒸かし饅頭は、どれも一寸違わぬ大きさ形をしており、シカゴの日系コミュニティの中で良く知られている。2009年の新年会では1000個ものお饅頭を作った。

(2010年6月 更新)

 


エリック・マツナガのシカゴ日系アメリカ人コミュニティの歴史に関する調査は、全米日系人博物館、アルファウッドギャラリー、WBEZラジオ、ニューベリー図書館で取り上げられています。シカゴ生まれで、第二次世界大戦中にカリフォルニアから移住した日系人の子孫である彼は、インスタグラムで@windycitynikkei (「シカゴの日系アメリカ人のひと口サイズ」)をキュレーションしています。

2020年11月更新


アリス・ムラタはシカゴのノースイースタンイリノイ大学のカウンセラー教育学部の教授であり、シカゴ日系アメリカ人歴史協会の共同創設者です。

2006年2月更新


ドワイト・オキタの小説『 THE PROSPECT OF MY ARRIVAL』は、2008 年に Amazon Breakthrough Novel Award を争った 5,000 冊の本の中で上位 3 位にランクインしました。彼の舞台劇は、業界の専門家向けに作品がライブで上演される HBO New Writers Showcase に選出されました。応募した 2,700 名の作家のうち 25 名が参加を依頼されました。

ドワイトの出版物には、高く評価されている詩集「 Crossing with the Light」 (Tia Chucha Press)や、アンソロジー「Asian American Drama」 (Applause)に収録されている舞台劇「The Rainy Season」などがあります。彼の詩は、多くのアンソロジーや教科書に広く掲載されています。その中には、 「Unsettling America」 (Penguin)、 The Norton Introduction to Literatureスミソニアン博物館の「Celebrate America」などがあります。彼は、 「Lives of Notable Asian Americans in Literature and Education」 (Chelsea House)や「Yellow Light: The Flowering of Asian American Arts」 (Temple University)で紹介されています。著者は、NPR のシカゴ支局にも出演し、ラジオで個人エッセイを朗読しています。dwightland.homestead.comアクセスして、ドワイトにメッセージを残してください。

2009年12月更新


ディーン・ラファエリはシカゴで開業している家庭医であり、茶道裏千家淡交会シカゴ協会の会長です。

2006年9月更新


菅野 正弘は、イリノイ大学シカゴ校で美術学修士号、カリフォルニア州立大学ノースリッジ校で文学士号を取得しました。2007 年秋に同学部の非常勤講師に就任し、高度なビデオ編集とコミュニケーション実践を教えています。

スガノ氏は、サンダンス映画祭、アナーバー映画祭、アジア系アメリカ人映画祭で作品が上映された実績のある監督/映画製作者です。

彼の映画「セカンド・ムーン」は、2006年にシカゴのジーン・シスケル映画センターで上映された。タランティーノ風の雰囲気があると評される「セカンド・ムーン」は、「アート・オブ・ラブ」という組織のエージェントとして働くQという名の紳士の物語である。この組織は、夫と別れたいと願う男女間の激しい情事を仲介する役割を担っている。

執筆、監督、指導の仕事をしていないときは、太平洋沿岸へのドライブ旅行、ティラミス、作家太宰治の小説を楽しんでいます。

自身の教育哲学について尋ねられると、正弘氏は「いかなる知識も絶対的なものはない」と答えた。

* 彼がコミュニケーション学部の非常勤講師を務めるロヨラ大学のウェブサイトからの抜粋 (www.luc.edu/soc)

2009年7月更新


ニコール・スミダは、アジア系アメリカ人による、またはアジア系アメリカ人に関する芸術作品や文学作品の宣伝を目的とした雑誌「riksha」の共同創設者であり、元発行人です。

2007年3月に更新


ジョージ・スイェオカは、日本語能力を買われて陸軍情報部へ徴兵され、東京、北海道、石川で勤務しました。その後、芸術の道を志し、シカゴ美術館付属美術大学に入学するためにシカゴに来ました。大手企業や広告代理店の商業アーティストとして、また美術家として働きました。児童書や日本の民話に関する本など、多くのイラストレーターとして活躍しています。最新作は、シカゴのリンカーンパーク動物園にある動物をモチーフにしたブロンズ製の水飲み場シリーズです。

2007年6月更新


アイリーン・スイェオカはシカゴの著名な織物職人であり芸術家です。彼女はシカゴ美術館付属美術大学、テキスタイル アート センター、アメリカン クラフト、アメリカ手織り職人ギルド、ノース ショア織り職人ギルド、およびマーリ ギルドの同窓会の会員です。彼女は創作と織りを続け、デザインと織りのクラスを教えています。

2008年7月更新


日本出身の豊永志保さんは、シカゴ地域のオーケストラでビオラを演奏しています。彼女はノースウエストインディアナ交響楽団の副首席ビオラ奏者であり、彼女の室内楽演奏は WFMT で生放送されています。彼女は現在シカゴのノースパーク大学の教授であり、ジョンズホプキンス大学ピーボディ音楽院でビオラ演奏の修士号を取得しています。

2009年4月更新


キース・ウチマは、エンターテイメント業界の作家、プロデューサー、パフォーマーです。また、GIA の宝石鑑定士でもあり、高級ジュエリー、時計、コインの買取を専門としています。連絡先はhttp://www.aandr.info/です。

2012 年 7 月に更新されました。


ラリー・ワイリーはシカゴの南側で生まれ育った三世ハーフです。長年の柔道家として、ミシシッピ川東側最大の柔道場の設立に携わり、30 歳以上のマスターズ大会で金メダル 3 個を含む 7 つの国内メダルを獲得しています。過去 25 年間建設業界で働いており、多数のプロジェクトでシカゴ建築会議による「2006 年 1000 万ドル未満の最優秀新築」賞を含む数々の賞を受賞しています。ラリーは現在、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエが設計したシカゴ中心部のフェデラル センターの 18 か月間の歴史的改修工事を管理しています。離婚して 3 人の子供の父親となったワイリーは、1985 年からシカゴの北側に住み、カブス狂の海に漂うホワイトソックス ファンです。

2010年12月更新


ビル・ヨシノはシカゴを拠点とする公民権活動家です。現在は日系アメリカ人市民連盟の中西部ディレクターを務めています。

2007年4月更新