ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/series/suspicious-points/

戦前のシカゴにおける疑わしい接触点


2019年3月27日 - 2022年1月9日

このシリーズは、第二次世界大戦前と戦中のシカゴと中西部の日本人と日系アメリカ人の物語を描いています。西海岸の日本人の物語とはまったく異なります。戦争勃発直後の日本人の人口とFBIに逮捕された日本人の数はどちらも少なかったものの(それぞれ500人以下と20人以下)、米国政府は、1930年代からアフリカ系アメリカ人と日常的に接触していたシカゴの日本人による日本政府のスパイ活動に警戒の目を向けていました。このシリーズは、スパイ容疑で逮捕されたシカゴと中西部の日本人4人の人生に焦点を当てています。



このシリーズのストーリー

アフリカ系アメリカ人コミュニティと日本人の親和性 - パート 5

2022年1月9日 • デイ 多佳子

パート4を読む>>フランク・マスト・コノフランク・コノ(シカゴの日本人相互扶助協会の会計幹事を務め、1943年に他の3人の日本人とともに逮捕された一世)が真珠湾攻撃の知らせを聞いたとき、彼はシカゴのサウス・インディアナ・アベニュー4248番地にある彼のレストラン「インディアナ・レストラン」で働いていた。1その後すぐに、FBIがやって来てコノの家を一度ならず二度も捜索し、FBIと移民帰化局から計7回呼び出された。しかし、彼らは何も疑わしいものを見つけず、その後2年…

アフリカ系アメリカ人コミュニティと日本人の親和性 - パート 4

2022年1月2日 • デイ 多佳子

パート3を読む>>サミュエル・イチエ・ハヤカワとシカゴ・ディフェンダー優れた意味論学者、英語教授、詩人、シカゴジャズの歴史家、そして米国上院議員である S.I. ハヤカワは、シカゴ・ディフェンダー紙に連載コラムを書いた最初の非アフリカ系アメリカ人でした。1 1942 年11月、ディフェンダー紙は5 人の新しいコラムニストを発表し、当時イリノイ工科大学で意味論の教授だった S.I. ハヤカワもその 1 人でした。2週刊コラムニストになる機会を与えられたとき、彼は「…

アフリカ系アメリカ人コミュニティと日本人の親和性 - パート 3

2021年12月26日 • デイ 多佳子

パート2を読む>>社会学者の川村忠雄とシカゴ大学ハリー・ジツゾウ・ハラダ(1919年12月15日にブッカー・T・ワシントンに日本人移民についての意見を尋ねる手紙を書いたジャーナリスト)がアフリカ系アメリカ人に関する本を書き上げたかどうかは、現時点では不明だが、カワムラ・タダオは実際に書き上げた。カワムラはシカゴ大学で学んだ社会学者で、彼の著書「アメリカ黒人の研究」は、戦前に専門的に調査され執筆されたアフリカ系アメリカ人に関する最初の日本の本と考えられている。1し…

アフリカ系アメリカ人コミュニティと日本人の親和性 - パート 2

2021年12月19日 • デイ 多佳子

パート1 >>シカゴのブッカー・T・ワシントン、マーカス・ガーベイ、原田実三1887年にブッカー・T・ワシントンによって設立されたアラバマ州のタスキーギ大学は、一部の日本人によく知られていた。なぜなら、「翻訳された『奴隷からの解放』を読んだ日本人は、タスキーギの方法を、西洋に遅れをとっている自国の技術的遅れを克服する手段の1つとみなした」こと、またタスキーギが「アフリカ人だけでなく、西インド諸島人やアジア人の聖地」であったことなどである。1 タスキーギ大学に入学…

アフリカ系アメリカ人コミュニティと日本人の親近感 - パート 1

2021年12月12日 • デイ 多佳子

導入1943 年 12 月、忠実な日系アメリカ人が強制収容所を離れ、シカゴ、クリーブランド、カンザス シティなどの中西部の都市に移住していたとき、4 人の日本人一世男性がシカゴで FBI に逮捕されました。彼らは、シカゴに 20 年以上住んでいたチャールズ ヤスマ ヤマザキとフランク マスト コウノ、仏教僧侶の松岡宗勇、オレゴン出身の医師ロバート ハジメ シオミでした。松岡とシオミはシカゴに来たばかりでした。マツオカは 1940 年 6 月に渡米し、南カリフォルニアとコロラ…

日本領事館とナカ&パールナカネ - パート2

2019年8月20日 • デイ 多佳子

パート 1 を読む >>ナカとパール・ナカネとシカゴ中根はシカゴに来たことがあるのだろうか?イリノイ州でどれほどの政治的影響力を持っていたのだろうか?シカゴの日本領事館は中西部における中根の「暗躍」に何らかの形で関与していたのだろうか?現時点で言えることは、シカゴの旧日本領事館の捜索で、他の文書とともに「我が方の開発」からの誓約書と称する文書が 2 点見つかったということだけだ。1 1936 年 10 月 1 日、イリノイ州で非営利団体として設立された。住所はイ…

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このシリーズの執筆者

1986年渡米、カリフォルニア州バークレーからサウスダコタ州、そしてイリノイ州と”放浪”を重ね、そのあいだに多種多様な新聞雑誌に記事・エッセイ、著作を発表。50年近く書き続けてきた集大成として、現在、戦前シカゴの日本人コミュニティの掘り起こしに夢中。

(2022年9月 更新)