ディスカバー・ニッケイ

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静かな戦士たち


2021年1月26日 - 2021年12月20日

1942年2月、日本軍が真珠湾を攻撃した2ヶ月後、故ルーズベルト大統領の発令9066のもと、約12万人の日本人、日系人が収容所に送られた。その3分の2はアメリカ生まれの二世達。彼らの生き様は主に2つに分かれた。「アメリカに忠誠を誓いますか」の問いに「NO」と答えた「ノーノー・ボーイ」と、強制収容所から志願または徴兵され「442部隊(日系人のみで編成された部隊)」または「MIS(米国陸軍情報部)」でアメリカ軍へ貢献した若者たちだ。高齢になりようやく閉ざしていた口を開いた二世の戦士達。戦争を、体を張って通り抜けて来た彼らだからこそ平和を願う気持ちは大きい。その声を13回に分けてシリーズでお届けする。

*このシリーズは、2003年に当時はまだ健在だった二世退役軍人の方々から生の声をインタビューした記事として『北米報知』に掲載されたもので、2020年に当時の記事に編集を入れずにそのまま『北米報知』に再掲載されたものを転載したものです。



このシリーズのストーリー

ロバート(ボブ)・佐藤さん

2021年2月10日 • 天海 幹子

「戦争で何したのって子供たちに聞かれても、戦争では兵隊をしていたと答えるしかない」と語るのはロバート佐藤さん。第2次世界大戦では442連隊の上級曹長を勤めた。多くの二世と同じ様に、何があったかは話すが、自身のこととなるとどう感じたかは語らない。 佐藤さんはタコマ市の南、ファイフで生まれた。戦争が始まると農業を営んでいた家族と共にピュアラップのキャンプ・ハーモニー(仮収容所)からミネドカ1収容所に移る。兄は志願して一足先に、MIS(軍事情報部員)としてミネソタ州キャンプ…

リチャード・内藤さん

2021年1月26日 • 天海 幹子

1942年2月、日本軍が真珠湾を攻撃した2ヶ月後、故ルーズベルト大統領の発令9066のもと、シアトル市近辺の11万人の日本人、日系人が収容所に送られた。その3分の2はアメリカ生まれの二世達。彼らの生き様は2つに分かれた。「アメリカに忠誠を誓いますか」の問いに「NO」と答えた「No No Boys」と、志願兵「442部隊(日系人のみで編成された部隊)」。高齢になりようやく閉ざしていた口を開いた二世の戦士達。戦争を、体を張って通り抜けて来た彼らだからこそ平和を願う気持ちは大きい…

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このシリーズの執筆者

東京都出身。2001年から2005年まで北米報知でジェネラルマネージャー兼編集長を務める。北米報知100周年記念号発刊。「静かな戦士たち」、「太平洋(うみ)を渡って」などの連載を執筆。シアトルの二世退役軍人のインタビューが、最も心に残っているという。昨年11月、44年のシアトル生活を終え、現在は東京在住。

(2021年1月 更新)