「ノーノー・ボーイ」の世界を探る
太平洋戦争を挟みアメリカで生きた日系アメリカ人二世、ジョン・オカダ(John Okada)が残した小説「ノーノー・ボーイ(No-No Boy)」。1971年に47歳で亡くなった彼の唯一の作品は、戦争を経験した日系アメリカ人ならではの視点でアイデンティティをはじめ家族や国家・民族と個人の在り方などさまざまなテーマを問う。いまも読み継がれるこの小説の世界を探りながらその魅力と意義を探っていく。
このシリーズのストーリー
第19回 第11章(終章)~希望の兆しなのか
2016年10月28日 • 川井 龍介
戦争が終わって故郷のシアトルに帰って来たイチローのその後数日を周囲の人間とのかかわりなかで描いた「ノーノー・ボーイ」は、イチローの内面の独白が軸になっていて、物語性は強くはない。それでも、イチローが苦悩しながらどんな生き方を見つけていくのか、苦悩から抜け出す道はあるのだろうかと読む者は考える。 最終章では、事件は起きるが、なにかが解決したとか、苦悩が解消していくといった感情の浄化のような出来事が起きるわけでもない。だが、最後にオカダが語るように、かすかな光が、主人公の内面…
第18回 第十章、人種差別に向けられるオカダのなまざし
2016年10月14日 • 川井 龍介
アメリカのなかの日本人と黒人 日系人はアメリカ社会ではマイノリティーであり、移民当初から人種的な偏見にさらされてきた。同じようにマイノリティーとして中国をはじめアジア系のアメリカ人やユダヤ人、メキシコ人、ネイティブアメリカンも差別や偏見に遭ってきた。 こうした人種の問題について、オカダは、イチローの目を通して語っている。そのなかでも黒人に対しては、複雑な思いを寄せているのがわかる。 第一章のなかでまず、シアトルに帰って来たイチローは、かつての日本人町の繁華街で黒人…
第17回 第九章、葬儀、そして再出発
2016年9月23日 • 川井 龍介
シアトルの中の日本と“お寺” 日本人移民の古い歴史を持つシアトルには、かつて日本人町が形成され、日本のコミュニティーにあるようなものは、ほとんど形をそろえていた。1903(明治36)年に渡米した永井荷風は、「アメリカ物語」のなかで、最初の寄港地であるシアトルの街のようすが、日本のまちと少しも変わらないと驚いている。 これらの中には、日本から持ち込まれた宗教(仏教など)もあり、日本的な寺院も建設されていく。シアトルでは移住当初、移民はキリスト教に…
第16回 第八章、友の死、母の死
2016年9月9日 • 川井 龍介
小説「ノーノー・ボーイ」は、物語の後半に入り、大きな山場を迎える。主人公イチローの母と、親しい友人ケンジが相次いでこの世を去る。八章では、この二つの死が同時に登場する。著者のジョン・オカダは、二つの死をどう描いたか。 戦争で片脚を失い、さらにその傷が悪化し、ポートランドの復員兵病院に入院したケンジ。友を見舞ったイチローは、現地で職探しをしたが結局は、シアトルにもどることにした。ケンジに頼まれたように彼のオールズモビルを運転し、ケンジの実家に届けた。 そこで、やさしい父親…
第15回 七章、良心ある白人との出会い
2016年8月26日 • 川井 龍介
日米間の戦争という事情ゆえ、アメリカの日系人はアメリカ社会で全体として迫害をうけるが、その背景には人種的な偏見があり、この問題をどうとらえるかを、「ノーノー・ボーイ」のなかで、ジョン・オカダは随所で示している。 そのほとんどが、白人社会からの差別の実態とそれに対する苛立ちである。しかし、差別や偏見のない、「アメリカの良心」のような存在も一方でオカダは登場させている。それが、七章に出てくる、キャリックというエンジニアリングの会社を経営する白人男性だ。 物語を振り出しにもど…
第14回 六章、死を予感するケンジの悲しみ
2016年8月12日 • 川井 龍介
著者のジョン・オカダが、心優しい日系人家族の姿を、美しくも悲しく描く印象的な章が、物語も中ほどにさしかかった第六章だ。 戦争で片脚を失ったばかりか、傷んだところが悪化してきたケンジは、シアトルから再びポートランドの復員兵病院へ行くことになる。これまでとちがいもう二度と戻って来られない予感がするケンジは、家族に別れを告げる。 一世の父の後悔 母はかなり前に亡くなり、父が長い間職人として男手ひとつで3男3女を育ててきた。アメリカで一旗揚げようとやってきた一世の父は必死に働…