ディスカバー・ニッケイ

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日系アメリカ文学雑誌研究: 日本語雑誌を中心に


2011年1月7日 - 2011年11月25日

日系日本語雑誌の多くは、戦中・戦後の混乱期に失われ、後継者が日本語を理解できずに廃棄されてしまいました。このコラムでは、名前のみで実物が見つからなかったため幻の雑誌といわれた『收穫』をはじめ、日本語雑誌であるがゆえに、アメリカ側の記録から欠落してしまった収容所の雑誌、戦後移住者も加わった文芸 誌など、日系アメリカ文学雑誌集成に収められた雑誌の解題を紹介します。

これらすべての貴重な文芸雑誌は図書館などにまとめて収蔵されているものではなく、個人所有のものをたずね歩いて拝借したもので、多くの日系文芸人のご協力のもとに完成しました。

*篠田左多江・山本岩夫 『日系アメリカ文学雑誌研究ー日本語雑誌を中心にー』 (不二出版、1998年)からの転載。



このシリーズのストーリー

青年活動から生まれた文芸誌『怒濤』-その2/5

2011年3月18日 • 篠田 左多江

>>その12.鶴嶺湖男女青年団の結成隔離収容所となった1943年の秋ころから、青年団を作ろうという動きが起こったが、それが本格化したのは、さきに述べた「現状維持派」と「現状打破派」の対立が深刻になった時期であった。これら二派の対立は、市民権の蹂躙への抗議や、合衆国に忠誠か不忠誠かといった日系人の思想の根本的な問題から生まれたものではなかった。良識のある人びとの目にはその対立は単なる醜い勢力争いとしか写らなかった。自分たちがそのようは無益な対立に巻き込まれ、次第に生きる指針を…

青年活動から生まれた文芸誌『怒濤』-その1/5

2011年3月11日 • 篠田 左多江

トゥーリレイク収容所は、日本語出版物のもっとも多い収容所である。文学誌の性格をもつものは『怒濤』および『鉄柵』のほか、短歌誌『高原』がある。『高原』は泊良彦の主宰する「東津久仁短歌会」の短歌誌である。単行本では加川文一の随筆集『我が見し頬』、矢尾嘉夫の歌集『歸雁集』、泊良彦の歌集『渦巻』が発行された。 複数の日本語雑誌があるのはこの収容所のみで、これらの雑誌は収容所が「隔離」収容所となった1943年7月15日以降に発行された。「隔離」とは、同年2月に実施された「忠誠登録」で…

『若人』 ―帰米二世文学の芽生え- その5/5

2011年3月4日 • 篠田 左多江

>>その4『若人』第三号は8月30日に発行された。編集部によれば、戦時転住局はすべての作品を翻訳し、英文と和文の両方を掲載すべきであると主張したという。しかし、双方の折衝の結果、従来通りの形式で許可された。青年会の会員は大部分がトゥーリレイクへ隔離されることになっていたため、戦時転住局はその動向に必要以上に神経をとがらせていたと思われる。 この年の夏はとくに猛暑で、温度計が破裂して水銀が飛び散るほどであったが、編集者は最後を飾る立派な雑誌を発行しようと暑さの中で奮闘したとい…

『若人』 ―帰米二世文学の芽生え- その4/5

2011年2月25日 • 篠田 左多江

>>その33. 比良男女青年会機関誌『若人』1943年2月に忠誠登録が実施されると、青年会の活動は難しくなった。会員の大多数は合衆国への忠誠を拒否し、隔離収容所への移動または日本への送還を希望した。したがって当局は青年会を危険分子の集団と見なし、役員を逮捕してユタ州モアブ抑留所へ送った。当局に反する目立つ言動はなかったにもかかわらず、会長の山城譲治はじめ幹部の土井静夫など10名が逮捕されて、青年会以外の人びとと合わせて50名ほどがモアブへ送られた。指導者を失った青年会が体制…

『若人』 ―帰米二世文学の芽生え- その3/5

2011年2月18日 • 篠田 左多江

>>その22. 『若人』創刊の背景 -比良男女青年会の活動-収容所への移動が完了してほどなく、帰米二世たちが集まって帰米男女青年会が発足した。急激な環境の変化によって落ち着かない生活を送っていた若者たちも、収容所生活を少しでも楽しいものに変えようと考え始めた。そして親睦会という形で始まったのがこの会であった。若者の中には、将来に絶望して非行に走り、ぞろぞろと群れをなして所内をのし歩き、顰蹙(ひんしゅく)をかう者もあった。帰米二世たちはアメリカの民主主義を信じていたにもかかわ…

『若人』 ―帰米二世文学の芽生え- その2/5

2011年2月11日 • 篠田 左多江

>>その1所内には戦場で使用するカモフラージュネットの工場があり、住民に戦争努力への貢献を求め、市民権を持つ人のみが働くことを許された。また、早くも1942年9月から戦時転住局の斡旋で、綿花摘みの労働者が求められた。アリゾナ州は全米の4分の3の量の長い繊維の綿花を産出し、それは戦時国防必需品であった。戦時中の労働者不足のため、収穫には収容者の労働力がぜひとも必要であった。戦争努力に貢献すると同時に賃金も得られるとあって、多くの男女が応募し、一度に約100名ずつ外部へ就労して…

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このシリーズの執筆者

東京家政大学人文学部教授。日本女子大学大学院修了。専門は、日系人の歴史・文学。おもな業績:共編著『日系アメリカ文学雑誌集成』、共著『南北アメリカの日系文化』(人文書院、2007)、共訳『日系人とグローバリゼーション』(人文書院、2006)、共訳『ユリ・コチヤマ回顧録』(彩流社、2010)ほか。

(2011年 2月更新)


立命館大学名誉教授。専門は日系アメリカ・カナダ文学。主な業績は共著『ヨーロッパ現代文学を読む』(有斐閣、1985)、共編著『日系アメリカ文学雑誌集成』全22巻、別冊1(不二出版、1997-1998)、共著『戦後日系カナダ人の社会と文化』(不二出版、2003)、共編著『南北アメリカの日系文化』(人文書院、2007)、共訳『ヒサエ・ヤマモト作品集―「十七文字」ほか十八編―』(南雲堂フェニックス、2008)。

(2011年1月 更新)