ディスカバー・ニッケイ

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日系アメリカ文学雑誌研究: 日本語雑誌を中心に


2011年1月7日 - 2011年11月25日

日系日本語雑誌の多くは、戦中・戦後の混乱期に失われ、後継者が日本語を理解できずに廃棄されてしまいました。このコラムでは、名前のみで実物が見つからなかったため幻の雑誌といわれた『收穫』をはじめ、日本語雑誌であるがゆえに、アメリカ側の記録から欠落してしまった収容所の雑誌、戦後移住者も加わった文芸 誌など、日系アメリカ文学雑誌集成に収められた雑誌の解題を紹介します。

これらすべての貴重な文芸雑誌は図書館などにまとめて収蔵されているものではなく、個人所有のものをたずね歩いて拝借したもので、多くの日系文芸人のご協力のもとに完成しました。

*篠田左多江・山本岩夫 『日系アメリカ文学雑誌研究ー日本語雑誌を中心にー』 (不二出版、1998年)からの転載。



このシリーズのストーリー

アメリカ東海岸唯一の文芸誌『NY文藝』―その2/9

2011年9月2日 • 山本 岩夫

その1>> 2.『NY文藝』の創刊とその後の経過 『NY文藝』は1955年に創刊され、1975年の第11号をもって終刊となった。創刊および発行の継続に中心的な役割を果たしたのが、編集兼発行人を務めたあべよしお(阿部芳雄)(第1-5号)と秋谷一郎(第6-11号)である。共に戦後、ニューヨークに再定住した帰米二世であり、『NY文藝』の創刊時、あべは44歳、秋谷は46歳であった。この同人誌の創刊とその後の経過を、秋谷一郎「十二年の足跡」(『NY文藝』第10号」)をも参考に…

アメリカ東海岸唯一の文芸誌『NY文藝』―その1/9

2011年8月26日 • 山本 岩夫

はじめに 1955 年、ニューヨークで『 NY文藝』が創刊された。ロサンゼルスで『南加文藝』が創刊される10年前のことである。その第3号に「ニューヨークで発行されるアメリカ唯一の文芸同人雑誌」と記されている。戦後のアメリカで初めて本格的な文芸誌が生まれたのである。 ニューヨークにおける日系日本語文学活動はほとんど知られていない。そもそもそのような活動があったのかどうかさえ不明であった。『在米日本人史』(1940)も『米国日系人百年史』(1961)もニューヨークを中心とす…

望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その8/8

2011年8月19日 • 篠田 左多江

その7>>4.『ポストン文藝』の特色と果たした役割『ポストン文藝』の第一の特色は、特定の集団ではなく一般の収容者を対象とした総合雑誌であったこと。内容は文学のみならず、様々な娯楽的要素をもった読物や写真、芝居や日本舞踊公演に関する記事もあり、いわゆる「講談本」や演劇などのファン雑誌の要素も含まれていた。 第二の特色は呼び寄せを含む一世が発行の中心的役割を担ったこと。編集者及び寄稿者に帰米二世はいるが、その数は少ない。一世が創り出したものに帰米二世が参加するいう形をとっていた…

望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その7/8

2011年8月12日 • 篠田 左多江

その6>>『ポストン文藝』を多彩な総合雑誌にしているのは、芸能の記事や写真が華いだ雰囲気を添えているからであろう。この時期にもっとも人気のあったスターは、日本舞踊家の藤間勘須磨(濱口須磨子)で、彼女に関する記事が『ポストン文藝』を賑わしている。彼女は1934年に日本へ行き、5代目藤間勘十郎のもとで名取りになった若い二世である。 日系社会には各流派の名取りがいて、それぞれ弟子を養成していた。生活が安定すると子女に日本舞踊を習わせて、日本的な立ち居振舞を身につけさせ、日本の古典…

望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その6/8

2011年8月5日 • 篠田 左多江

その5>>かつて日系人の文学は短詩形文学中心であったことから、この『ポストン文藝』の中の短詩形文学作品の数はたいへん多い。 詩の分野では第一に外川明の名をあげることができる。彼は1903年、山梨県南都留郡に生まれた。父は妻と3歳の明をおいてアメリカへ渡り、16年間帰国しなかった。村の尋常小学校を卒業後、彼は養蚕、農業、道路修理の労働者、富士登山の強力(ごうりき)、行商人などあらゆる仕事をして母を助け、父の帰りを待った。1922年に父が帰国したとき、彼はすでに19歳の若者にな…

望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その5/8

2011年7月29日 • 篠田 左多江

その4>>木内春波(貞勝)の「おもかげ」(45年7、8月号)は、初恋に破れて転落の人生を送った男が老人となって収容所の病院で死の床に横たわるとき、優しい看護婦に出あう。それはかつての恋人の娘だと分かるが、真実を明かさずに死んで行くという物語である。文章もしっかりしていて、物語の運びも手なれたものである。木内は当時40代、若い頃文学青年だったが仕事に追われてものを書く暇がなく、収容所でやっとその時間を与えられたという。「技師長」(44年10月号)は、変り者といわれた隣人の一世…

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このシリーズの執筆者

東京家政大学人文学部教授。日本女子大学大学院修了。専門は、日系人の歴史・文学。おもな業績:共編著『日系アメリカ文学雑誌集成』、共著『南北アメリカの日系文化』(人文書院、2007)、共訳『日系人とグローバリゼーション』(人文書院、2006)、共訳『ユリ・コチヤマ回顧録』(彩流社、2010)ほか。

(2011年 2月更新)


立命館大学名誉教授。専門は日系アメリカ・カナダ文学。主な業績は共著『ヨーロッパ現代文学を読む』(有斐閣、1985)、共編著『日系アメリカ文学雑誌集成』全22巻、別冊1(不二出版、1997-1998)、共著『戦後日系カナダ人の社会と文化』(不二出版、2003)、共編著『南北アメリカの日系文化』(人文書院、2007)、共訳『ヒサエ・ヤマモト作品集―「十七文字」ほか十八編―』(南雲堂フェニックス、2008)。

(2011年1月 更新)