ディスカバー・ニッケイ

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ニッケイ物語 11—いただきます3! ニッケイの食と家族、そしてコミュニティ


2022年6月8日 - 2022年10月12日

第11回ニッケイ物語「いただきます3! ニッケイの食と家族、そしてコミュニティ」では、食がどのようにニッケイコミュニティをつなぐ役割をはたしているのか、代々受け継がれてきたニッケイのレシピにはどのようなものがあるのか、好きな和食やニッケイ料理は何なのかといった、いくつかのトピックについて考えてもらいました。

ディスカバー・ニッケイでは、2022年5月から9月にかけ、ニッケイ食に関するストーリーを募集し、10月31日までお気に入り作品に投票していただきました。全15作品(日本語:1、英語:8、スペイン語:6、ポルトガル語:1)が、ブラジル、カナダ、ペルー、米国から寄せられました。うち一つは、多言語による作品でした。

編集委員の方々に、これらの投稿作品を読んでいただき、お気に入り作品を選んでもらいました。また、ニマ会コミュニティの方々にも、お気に入り作品に投票をお願いしました。下記がお気に入りに選ばれた作品です。

編集委員によるお気に入り作品

ニマ会によるお気に入り作品:  

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* このシリーズは、下記の団体の協力をもって行われています。 

     

     

 

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*ロゴデザイン:ジェイ・ホリノウチ


ニッケイ物語(シリーズ)

このシリーズのストーリー

カナダの日系家庭料理

2022年9月4日 • チャック・タサカ

以前、私は日系カナダ人特有の日系料理、ブリティッシュコロンビア州カンバーランドの炭鉱の町で生まれたカンバランド焼きそばと、ニューデンバーの強制収容所の伝馬漬けについて記事を書きました。フキは日本人の移民の象徴です。1800 年代後半、田舎の村の貧しい人々がカナダやアメリカに移住した際、何らかの理由で日本の丘陵で育つこの取るに足らない根を持ち込みました。私の考えでは、おそらくこの村人たちはカナダには日本食はないだろうと考え、船にフキの根を隠したのだろう。別の説としては、移民た…

豚豆腐

2022年8月26日 • デービッド・サトウ

私は基本的に白人のコミュニティで育ちました。私の友人やコミュニティは日本人ではなかったので、日本文化に触れる機会は両親に限られていました。60年代に育った私は、同化すること、そして人と違うことをしないようにと諭されました。 私が日本文化とつながっていたのは食べ物のおかげです。子供の頃、母のアイリーンがたくさんの日本料理を作っていたのを覚えています。ほとんどは材料を量らずに記憶を頼りに作っていました。母はトンカツ、生卵と醤油をかけた温かいご飯、酢豚や鶏肉、揚げたナスなど、日本…

ペルーのラーメンとその先駆者、11年後

2022年8月22日 • エンリケ・ヒガ・サクダ

2011年にトキオラーメン店がオープンした当時、ペルーでは日本の麺類は知られていませんでした。 11年後の今日、元デカセギのフアン・カルロス・タナカ氏は、リマの30以上のレストランがそれを提供していると推定している。ペルーの首都におけるラーメン普及の先駆者である日系人のシェフは、パンデミックの打撃と今後の新しい店のオープンによって特徴付けられる状況下でのラーメンの普及を満足そうに観察している。パンデミックの影響からまだ回復しつつあるレントレーの準備をしながら、フアン・カルロ…

寿司を介した異文化コミュニケーション

2022年7月18日 • 福田 恵子

寿司シェフいろいろ 在米ライターとして多くの寿司シェフを取材してきた。日本で修行、または実績を積んでからアメリカで寿司を握っている人、アメリカで初めて寿司シェフになった人、江戸前の伝統的なスタイルにこだわっている人、アメリカ人が好むロール寿司などの変化球型の寿司など顧客のリクエストに応じて伝統に固執することなく柔軟な姿勢で寿司を握る人。彼らの経験や寿司に対するポリシーは実に幅広い。もしかしたら、伝統にこだわるタイプの人は、寿司シェフではなく寿司職人または板前と呼ぶべきなの…

レオナルド・オヤカワ:自分流の料理を作る

2022年7月13日 • ハビエル・ガルシア・ウォング=キット

彼がリマに住んでいたとき、プロとしての将来への道がキッチンにあるということを示す矢印や標識はありませんでした。デザートを作るのが好きだったが、学校を卒業するとすぐに米国のフロリダに移住し、ガソリンスタンドのレジ係として働き始めた。 「私が初めてキッチンに立ったのは、ペルー人の日系人シェフ、オスカー登川さんから寿司の作り方を見に来ないかと誘われたときのウェイターでした。」彼のナイフの腕前に魅了され、日本料理の技術を学ぶことを決心したのです。 「キュウリを巻いてロール状にするよ…

梅酒:過去と現在を味わう

2022年7月11日 • コーディ・ウエダ

毎年、夏になると私は「それ」を求めに地元の日系スーパーに車で出掛けます。それは小さくて緑色をした、旬の時期が一年で数週間しかない「梅」です。スーパーの自動ドアが開いて冷たい空気が勢いよく通り抜けると、私は期待半分、緊張半分の気持ちで野菜売り場へと直行します。梅が店頭に並んでいるかどうかは実際に売り場に行ってみるまで分からないし、もしかしたら数日、もしくは1週間タイミングを逃してしまっているかもしれないからです。梅を買うミッションはときどき失敗に終わり、出直すこともあります。…

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このシリーズの執筆者

チアナ・フジワラは、南カリフォルニア出身で、心理学を専攻する日系アメリカ人 5 世、メキシコ系アメリカ人 5 世、中国系アメリカ人 2 世の大学生です。第二次世界大戦中の日系アメリカ人強制収容所との深い関わりを持つ彼女は、それ以来、家族の物語やその時代全般、そしてその影響についてさらに研究することに熱心になっています。その他の趣味には、古代中国の詩や歴史に関するあらゆることが含まれます。

2023年10月更新


大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2020年7月 更新)


ハビエル・ガルシア・ウォング=キットは、ジャーナリスト兼大学教授で、雑誌『Otros Tiempos』のディレクターを務めている。著書として『Tentaciones narrativas』(Redactum, 2014年)と『De mis cuarenta』(ebook, 2021年)があり、ペルー日系人協会の機関誌『KAIKAN』にも寄稿している。

(2022年4月 更新)


日系ペルー人三世で、ジャーナリスト。日本のスペイン語メディアインターナショナル・プレス紙のリマ通信員でもある。

(2009年8月 更新) 


カリフォルニア州サンタクラリタで生まれ育つ。現在カリフォルニア州バレンシアのカレッジ・オブ・キャニオンズでジャーナリズムを専攻する1年生で、準学士号を取得後、4年制大学への編入を希望している。キーラは日系とドイツ系の四世で、アジア系アメリカ人の体験について読んだり書いたりすることを楽しんでいる。

(2021年1月 更新)


クリス・コマイ氏はリトルトーキョーで40年以上フリーランスライターとして活動してきた。全米日系人博物館の広報責任者を約21年務め、特別な催しや展示、一般向けプログラムの広報に携わる。それ以前には18年間、日英新聞『羅府新報』でスポーツ分野のライターと編集者、英語編集者を兼務。現在も同紙に記事を寄稿するほか、『ディスカバー・ニッケイ』でも幅広い題材の記事を執筆する。

リトルトーキョー・コミュニティ評議会の元会長、現第一副会長。リトルトーキョー防犯協会の役員にも従事。バスケットボールと野球の普及に尽力する南カリフォルニア2世アスレチック・ユニオンで40年近く役員を務め、日系バスケットボール・ヘリテージ協会の役員でもある。カリフォルニア大学リバーサイド校で英文学の文学士号を取得。

(2019年12月 更新)


ユキ・ナカンダカリはペルー人シェフで、フィラデルフィアのレストラン「Chalaco's」、ボルチモアの「Pisco」、ワシントンDCの「Ocopa」、チェーン「Lima's Chicken」などを指揮してきた。彼は現在、「セビチェ ブラザーズ」とともにアメリカ初のセビチェリア ポップアップ コンセプトを推進中です。米国初のペルー人トークショー「ロレアンド・エントレ・カウサス」の司会者。米国の影響力のあるラジオ局、雑誌、新聞に寄稿しており、プロとしてのキャリアにおいてさまざまな賞を受賞しています。彼は、ニュージャージー州の「ペルー・フュージョン」やニューヨーク州の「ペルー・トゥ・ザ・ワールド・エキスポ」などの美食見本市に参加し、「2021年アメリカのトップペルー人シェフ」のリストやSurPeruのテレビ番組「サボール&フュージョン」のリストで優秀な成績を収めました。ペルー系アメリカ人シェフ協会PACH.Aの2022年理事会のメンバー。ペルーのトップシェフの料理ディレクター。権威ある国際美食ガイド、ミシュランの 2017 年ワシントン DC 版に掲載されました。

最終更新日: 2022 年 9 月


 ブラジル、ウベルランディア連邦大学にて言語学と会計学を専攻。同大学で会計学修士課程の学生。父方の2世、母方の3世。父親は佐賀県出身、母親の家族は神戸出身。国語教師、現在は家業を営む。

(2022年5月 更新)


 ロベルト・オオシロ・テルヤは、ペルー出身の53歳、日系三世。両親セイジョウ・オオシロとシズエ・テルヤは、父方も母方も沖縄出身(豊見城と与那原)。現在は、ペルーの首都リマ市在住で、市内で衣類販売の店を経営している。妻はジェニー・ナカソネで、長女マユミ(23歳)、長男アキオ(14歳)である。祖父母から教わった習慣を受け継いでおり、特に沖縄の料理や先祖を敬う象徴である仏壇を大切にしている。子供達にもこのことを守って欲しいと願っている。

(2017年6月 更新)


デビッド・サトウは南カリフォルニアで生まれ育った三世です。父親はリトル東京の開業医でした。母親はハワイで育ち、1942 年に収容所に送られる直前に父親と結婚しました。サトウはバーバンクで心臓専門医になる機会に恵まれ、36 年間勤務しました。現在はプロビデンス ヘルス アンド サービスで多専門医療グループを運営しています。

2022年8月更新


ミャ・サンチェス・ペネドは、ジャーナリズムを専攻したペルー人のコミュニケーターです。 2022 年には、第 1 回責任あるジャーナリズム コンテストの不平等削減部門で 2 位を獲得しました。彼女は独立メディア La Antígona でジェンダー ジャーナリストとして働いてきました。現在、ペルー日本協会のプレスアシスタントを務めている。


マーシャ・タケダ・モリソンは、ロサンゼルス在住の作家兼アートディレクターで、コーヒーを大量に飲みます。彼女の執筆は、ロサンゼルス・タイムズ、ペアレンツ、ジェンラックス、ニッチ、Mom.com、その他のライフスタイル、教育、子育て関連の出版物に掲載されています。また、ポップカルチャーも取り上げており、パリス・ヒルトン、ジェシカ・アルバ、キム・カーダシアンなどのインタビューも行っています。ハリウッドで多くの時間を過ごしていますが、整形手術を受けたことも、俳優の子供を出産したことも、リアリティ番組に出演したこともありません。今のところは。

2023年5月更新


チャック・タサカ氏は、イサブロウ・タサカさんとヨリエ・タサカさんの孫です。チャックのお父さんは19人兄弟の4番目で、チャックはブリティッシュコロンビア州ミッドウェーで生まれ、高校を卒業するまでグリーンウッドで育ちました。チャックはブリティッシュコロンビア大学で学び、1968年に卒業しました。2002年に退職し、日系人の歴史に興味を持つようになりました。この写真は、グリーンウッドのバウンダリー・クリーク・タイムス紙のアンドリュー・トリップ氏が撮影しました。

(2015年10月 更新)


コーディ・ウエダは、南カリフォルニア在住の日系アメリカ人4世。南カリフォルニア大学で文学士号と法務博士を取得、ハーバード教育学大学院で教育学修士を取得し、現在は教育研究の分野やアジア系アメリカ人の非営利団体で働いている。

(2022年12月 更新)

 


若林アルトゥーロは土木技術者です。彼はリマ生まれの日系三世です。父方の祖父母は滋賀県からの移住者、母方の祖父母は山形県からの移住者です。

最終更新日: 2022 年 9 月