ディスカバー・ニッケイ

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銃剣とブルドーザー=米軍に美田奪われた伊佐浜移民


2018年7月23日 - 2018年8月20日

終戦から10年目の1955年7月19日、「沖縄有数の美田」といわれた宜野湾市伊佐浜の土地、さらに家屋までが米軍によって強制接収された。土地を失った10家族が縁故のいない未知の国、ブラジルに移住したのはその2年後のことだった。「伊佐浜土地闘争」は強制接収に対する初期の抵抗運動として、その後の「島ぐるみ闘争」で象徴的に語られる史実となった。その一方、渡伯した人々がどんな人生を送ったかは、あまり知られていない。どのような想いで土地を奪われ、故郷を離れたのか。どんな思いを秘めてブラジルで生きてきたのか。3組の伊佐浜移民への取材を通して、激動の沖縄近代史の一端をたどった。全5回シリーズ。「ニッケイ新聞」からの転載。



このシリーズのストーリー

第5回 「人生で今が一番幸せ」

2018年8月20日 • ⼭縣 陸⼈

屋良家は1970年ごろに出聖して縫製業を始めた。家族総出で朝7時から夜12時まで働いた。屋良さんは「うちは姉妹が多くて縫物なら女、子供でもできた。寝る間も惜しんで働きました」と言う。 今は一人暮らし。週に一度、近郊のグアルーリョス市から息子が訪れる。屋良さんは「ブラジルに来たばかりのときは日本に戻りたいと思っていました。でも『住めば都』という言葉の通り、今はここが私の場所のように感じます」と話す。 「米軍に土地を奪われてブラジルに来たことをどう思いますか」と尋ねた。 …

第4回 強制接収から2年、ブラジルへ

2018年8月13日 • ⼭縣 陸⼈

聖市カーザ・ヴェルデ地区在住の伊佐浜移民、屋良朝二(やら・ともじ)さん(78)の一家は戦前、フィリピン・ダバオでマニラ麻の農園に従事していた。戦争が始まると敵性国民として追い立てられ、他の日本人たちとともに避難生活が続いた。まともに食べる物がないなか逃げ回り、みんな足を悪くしたり、病気になったりした。このとき2人の兄弟を栄養失調で亡くしている。 戦争が終わって収容されたキャンプ地では、野外に張られたテントの中で過ごした。ここでも食べ物が不足していて「やっと日本に帰れる」と…

第3回 「犬コロのように追い払われた」

2018年8月6日 • ⼭縣 陸⼈

銃剣を構えた米兵とブルドーザー、クレーン、ダンプカー、トラックが現れたのは、7月19日のまだ日の昇りきらない早朝4時半のことだった。接収は前日の18日に予定されていたので、地主の一人は「予期はしていたが未明には思わず油断していた」(『琉球新報、55年7月19日夕刊』)とコメントしている。 午前5時には農地の周囲に鉄条網を張り巡らす作業が始まり、支援者や新聞記者たちははじき出されてしまった。農地に踏み入った米兵たちは住民たちの訴えに全く聞く耳を持たず、座り込んでいた老人たち…

第2回 戦中、機関銃で家族3人失う

2018年7月30日 • ⼭縣 陸⼈

「本当は戦争のことも、土地闘争のことも話したくありません」。そう切り出したのは伊佐浜移民のひとり澤岻安信(たくし・あんしん)さん(85)だ。昨年末、澤岻さんの知人宅で取材した際、同席した同県人にウチナーグチ(沖縄の方言)で促されるなか、戦中の体験から少しずつ語り始めた。 激烈な沖縄戦の最中の1945年4月、澤岻さんは13歳だった。母、弟、妹と普天間神宮近くの自然壕に身を隠していたところ、日本兵から米軍が来るから別の場所へ避難するよう指示を受け、暗い夜道を歩いていたという。…

第1回 「男たちに任せておけない」

2018年7月23日 • ⼭縣 陸⼈

終戦から10年目の1955年7月19日、「沖縄有数の美田」といわれた宜野湾市伊佐浜の土地、さらに家屋までが米軍によって強制接収された。土地を失った10家族が縁故のいない未知の国、ブラジルに移住したのはその2年後のことだった。「伊佐浜土地闘争」は強制接収に対する初期の抵抗運動として、その後の「島ぐるみ闘争」で象徴的に語られる史実となった。その一方、渡伯した人々がどんな人生を送ったかは、あまり知られていない。どのような想いで土地を奪われ、故郷を離れたのか。どんな思いを秘めてブラ…

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このシリーズの執筆者

1992年⽣まれ、埼⽟県出⾝。明治⼤学商学部卒。⼤学⽣のときにブラジル、アルゼンチンなど中南⽶諸国を訪問。卒業後2年間保険会社で務めた後、2017年から1年間、ブラジル⽇本交流協会の研修制度を利⽤してニッケイ新聞で研修を受ける。18年からニッケイ新聞記者。

(2018年7月 更新)